ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

愛の小径の謎 

 

ちょっとプーランクに関する書籍などを読んでいて、彼はゲイであったことを知った。生前に、しっかりカムアウトしている。「私の音楽は私がゲイであることを抜きにしては成立しない」とまで言い切っている。

知らなかったぁ・・・

プーランクの歌曲、約100曲はあるらしいが、すべてを聴いたことはない。でもプーランク歌曲のCDは4枚所有しており、曲の重複はあるも、ほぼ全作品に近い曲を聴いた。

「愛の小径」は特別なんだ・・・というのがプーランク歌曲を聴いた時の印象。マスネに近いというよりは、むしろプロコフィエフやショスタコーヴィチに近いような?つまり甘いというよりは、エッジーな感じ?もう少し「愛の小径」的な曲があるのだろうと思っていた。

では「愛の小径」は、なぜ、あそこまで「シャンソン」なのだろう?歌曲というよりは、もろ「シャンソン」だなぁ・・・と。

少し調べてみると、「愛の小径」は独立した歌曲として作曲されたのではなく、劇、芝居の音楽として作曲されたということが分かる。そのお芝居で「愛の小径」を歌ったのがイヴォンヌ・プランタンという女優。プーランクは、彼女が歌うということを想定して曲を作ったようだ。

「なんだ、女優が歌ったのか・・・」つまり、歌に関しては専門教育を受けたことのない、いわば素人さんが歌う曲だったから、だからシャンソンなんだ、さすがにエッジーな曲では女優には歌いこなせないだろう。

これは無知であったし、偏見の塊であったといえよう。イヴォンヌ・プランタンの素晴らしい歌唱を聴いて、自分がいかに無知であったのか思い知らされた。

イヴォンヌ・プランタンの歌い方は、聴いて頂くと分るけれど、「歌曲」に近い歌い方をしている。日本の歌謡曲も、昔の人は割とクラシック的というか、歌曲的に歌っていることが多いけれど、フランスもそうだったのだろうか?

なぜ「愛の小径」は「愛の小径」なのか、その理由は、どうもイヴォンヌだけではないようだ。歌詞は、もうこれは愛そのもの。



「愛の小径」   詞:ジャン・アヌイ

海へ続く小径には私たちの通り過ぎた後
恋占いの花びらと私たちの笑い声が残っている
幸せな日々も 輝きに満ちた喜びも消え去り
私はこの小径をたどる

愛の小径 私はお前を捜し求める
失われた小径 お前はもういない
絶望の小径 想い出の小径
初めての日の小径 愛の小径

人生はすべてを消し去るものだから
私がその小径を忘れ去ってしまっても
私の中に想い出の小径として残って欲しい
そこでは心乱れた私の上で
あなたの手は熱く燃えていたのだから


「あらぁ・・・歌詞がこうなんだから、だからこの曲だけシャンソンなのよ」

メロディーや曲の雰囲気と歌詞、たしかに合っていると思う。でも、それだけだろうか?何かがあるような気がしている。

kaz




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category: リサイタル

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