ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

鳩とピアノ 2 

 

年齢を重ねると、人生のシーンが増える。心の場面がアルバムのように増えていくのだ。これはピアノを弾くうえでも有利だろうと思う。では不利な点は?子どもや若者(現役音大生とか?)と比較して不利なこと・・・

「指が動かない」「暗譜に時間がかかる」「仕事が忙しい」「体力の低下を感じる」「病の攻撃」「介護しなくちゃ」等々・・・

いいことないじゃん。年齢を重ねたこと、つまり大人になって不利なことは、自分の経験からすると、自分を守ってしまうということ。プロテクトしてしまうんだね。何故なら、本質、事実を見つめることによって、傷つくこともあるから。

でも、自分の人生の終末期、それは病の攻撃などを受けなくても、誰にでも必ず訪れるものだけれど、その時にプロテクトしてきたことで後悔するのではないかなぁ・・・。守ってきたはずのものが、最終的には自分を傷つけることになる。「ああ、もう今では遅すぎる」と後悔する。「ああ、直視して、やっておけばよかったなぁ」と。

難曲を表面的にはパラパラと弾ける・・・この場合、その事実は素晴らしいことだけれど、あまりにプロテクトしてしまうと、例えば、自分は上級者であるとか、そのような方向性に向かってしまい、「パラパラとしか弾けない」という事実に向き合わないと後々(人生の終末期)に辛いことになる。

逆に、表現というか、「演奏者は感じているんだな」ということは聴き手に伝わる、「何かをやろうとしてはいるんだな」ということは伝わる演奏であり、演奏者に、自分には感じる感性があるという自負があったとしても、1曲を弾き通すことができないとか、本来は3分の曲が倍かかってしまうとか、それでは辛い。そのような場合、自分をプロテクトしてしまうと、「あの人は上級者かもしれないけれど、心がない。でも私にはある」のようになってしまう。

どちらの場合もプロテクト過多だと、現実を直視できなくなってしまう可能性はあるように思う。「弾けない」ということには理由があるという事実から逃げてしまうと、後々辛いかもしれない。

終末期には、このダヴのCMのような、ありふれた日常的な場面も走馬燈のように蘇ってくる。完全にピアノを弾くということを認知症予防と割り切っている人は別だろうが、何かしらのものを音楽というものに感じている、自分が弾いているピアノというものに結びつけるのであれば、走馬燈にはピアノ人生というものも蘇ってくるのではなかろうか?

その時にすべてが浮き彫りにされる。

kaz




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category: ピアノ雑感

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