ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

鳩とピアノ 1 

 

ピアノの練習というものは、生活の一部というか、習慣化されるのが望ましいのだろう。ピアノ教師ブログでの話題もこの部分が最も多いし、練習して欲しいという教師側の悩み、願いがセミナーというものを繁栄させてもいるのだろう。少なくとも、外側から見ていると、そのような印象を受ける。

習慣となるまで自分を鍛える・・・これは幼いころより身につけておきたいことだ。自己規律。自分の人生なんて、自分以外の誰も責任を持ってはくれないのだから、この自己規律能力は必要なものだと思う。

しかしながら、ピアノを弾くということにおいて、あまりにも「練習」=「習慣」ということにすべてを捧げてしまうのも危険なことかもしれない。特に子どもピアノの場合、物心つくよりも前に「ピアノ」というものを習っており、自己の中の欲求というものよりも、習い事としての習慣としてピアノとのおつきあいという面が強くなったりする。それは練習をきちんとするとか、課題に対して丸を先生からもらうとか、発表会できちんと弾けるとか、目的がそこに向きがちになったりする。なぜ、面倒な(?)練習などをしなければならないのか、その目的はという根本を見つめないまま、習慣だけがピアノを弾かせていくという危険性。

次の課題が与えられたから、以前から習っているから、発表会に出るから、レッスンがあるから・・・ピアノを練習する目的ってそこ?自己規律能力を養うことが習い事としてのピアノの目的なのだろうか?もちろん、あったほうがいい能力だが、脳の活性化のためにピアノを習うわけではないように、それは目的ではないのでは?

習慣というものは、環境によって変化していくものだ。なので、進学によってピアノを辞めるとか、セミナーでも「続けるピアノ」なんてテーマが出てきたりするのだ。

大人ピアノ、仕事をしながら、隙間時間を見つけて曲を仕上げていく、弾くという動機に子どもの習慣ピアノとは異なり、強いものがある。でも、かつてのピアノ道、昔習っていた頃のピアノ道、習慣をそのまま大人ピアノにも当てはめてしまう人は多そうだ。レベルがどうこうというのではなく。練習会があるから弾く、難易度の高い曲を弾けるようにしていく、だから練習する・・・のような?

子どもであれ、大人であれ、ピアノ、つまり音楽というか、曲には、様々な人間の感情を代弁してくれるような、自分が仕舞い込んだ、他人には見せないような、人生のそれぞれの場面での感情に寄り添ってくれるもの、それを感じるから、だから弾く、だから練習をするのではないだろうか?表現というもの、その欲求の根源に潜んでいるものとでも言おうか・・・

ダヴというメーカー、米国で1957年に誕生している。スキンケア、ヘアケアの総合メーカー。それまでは汚れを落とすという概念しかなかった石鹸というものに、肌への潤いという概念を加えた。Doveとは鳩という意味。愛と平和の象徴である鳩をメーカー名にしたのだそうだ。

ダヴのCMが素晴らしい。日本のダヴではなく米国のコマーシャル。女性向けのものは、「美というものはすべての人にある」というコンセプトのもと、制作されているような印象を持つ。「あなたは自分が感じているよりも美しいのよ」みたいな・・・

男性版ダヴのCMも素晴らしい。こちらは、鏡に向かって、うっとりとするパパ・・・というものとは異なり、父親と子ども、そして家族というものに焦点をあてている。人生の中での一場面、このCMと全く同じではなくても、パパではなくても、子どもはいなくても、でもこのような感情を人生の場面場面で感じたよね・・・みたいな?

ピアノを練習する、レッスンに通う、人前で弾いてみる・・・すべてのこと、それは自分の感情を音世界として代弁してくれるからではないだろうか?言葉では表せない心の中の深いもの・・・

プロではないんだし。専門的に音大を目指すの。趣味だから楽しく・・・

人間の感情にプロ、専門、趣味という仕分けがあるのだろうか?

鳩のようなピアノ・・・

kaz




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category: ピアノ雑感

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