ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

「ストックホルムでワルツを」 

 

モニカ・ゼタールンドという歌手のことは全く今まで知らなかった。1960年のスウェーデンの片田舎の小さな街、モニカは電話交換手をしながらジャズ歌手になることを夢みていた。

彼女の父親はジャズプレイヤーだった。テナーサックスの奏者だったようだ。モニカはジャズを聴きながら育った。英語の意味も分からないながら、見事に歌ったのだという。ジャズに囲まれた家庭環境であったわけだ。でも父親はモニカを応援するわけではなかった。おそらく、モニカが5歳の娘を持つシングルマザーであったこと、仕事の合間にジャズ歌手として地方巡業に出かける母親を見送る孫娘の切ない顔を見ていたこと、「ママ・・・クリスマスはいないの?」「そう。おじいちゃんと過ごしてね・・・」そんな様子も知っていたのだろう。あとは、自分自身が北欧、スウェーデンでジャズ奏者として、いかに苦労したか、その思いを娘にはさせたくなかったのかもしれない。

「お前は母親なんだ。お前は子どもの頃からそうだった。木のてっぺんに登らなければ気がすまなかった。他の子が途中であきらめてもお前は違った。だから死ぬ思いをするんだ。お前には娘がいる。家族がいるんだぞ?周囲は迷惑するんだ」

「私は外の世界を知りたいの。木のてっぺんからの景色は素晴らしいのよ。パパはその景色を見ようとしなかった。挑戦しなかった。だからパパは成功できなかったのよ」

モニカはスウェーデン内では、そこそこ知られる歌手となった。アメリカ制覇、ジャズ歌手として誰もが夢見ることであろう。結果は思わしいものではなかった。「美貌のスウェーデン歌手、実力不足」と新聞に書かれる。歌を聴いてもらったエラ・フィッツジェラルドにはこう言われてしまう。「あなた、歌の意味が分かってるの?誰かの物まねじゃなく自分の気持ちを歌わなきゃ」惨敗である。

母国語、スウェーデン語でのジャズ、モニカの挑戦だった。「ジャズは英語で歌うものだ」多くの偏見と闘いながら、モニカは自己を確立していく。歌手として多忙を極めるほど、娘との距離は広がり、母親として苦しんでいく。「お前は母親失格だ。あの子は俺と暮らす。もっと家族を大切にしろ」父親はモニカを突き放す。「自分の娘の歌をパパは聴いてもくれない。それでも父親なの・・・」

酒浸りになり、自己管理能力さえ疑われていく。自殺未遂、入院・・・

復帰したモニカは再び夢を追った。憧れのビル・エヴァンスとの共演。「何を夢みたいなことを言ってるんだ?彼は君の存在すら知らないんだぜ?」「もうデモテープは送ったわ」

そしてビル・エヴァンスからの答え、「素晴らしい歌でした。一度ニューヨークで一緒に僕と歌いませんか?」

ニューヨークでは美貌の北欧からのジャズ歌手を今度は暖かく歓迎した。モニカとビル・エヴァンスの共演は、スウェーデンにも実況放送された。

モニカの滞在するニューヨークのホテルに国際電話がかかってくる。父親からだった。

「モニカか?国際電話は高いからな。何というか・・・聴いたよ。とても感謝しているというか・・・お前は私に木のてっぺんからの景色を見せてくれた。感謝しているよ」

ここまで映画の内容を書いてしまうと、完全にネタバレということになるのであろうが、一度モニカ・ゼタールンドという人の歌声を聴いて欲しいと思う。夢を追った人の歌、そんな気持ちにさせてくれるから・・・

kaz




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