ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

有言実行ピアノ教師 

 

ピアノ教師は生徒にピアノを教えること、生徒を弾けるようにさせるのが仕事。ピアノ教師の仕事は自分自身が華麗に弾きこなすことではない。このような意味のメールを以前に頂いたことがある。要するに、ピアノ教師はピアニストではないということなのだろうか?コンサーティストではない・・・ということだったら、演奏による収入ではなく指導(レッスン)によって収入を得ているので、なんとなく分らないでもないのだが、ピアニストではない・・・となるとどうなのだろう?

例えば、今日はパリ、明日はモスクワ・・・のような演奏活動をしている、あるいは、今月は東京と名古屋、再来月は札幌・・・というような演奏活動をしている、このような人をピアニストと呼ぶのだろうか?ピアノを弾く人=ピアニストと認識してしまうと問題なのだろうか?

それよりも、いわゆる指導、レッスンで生徒に演奏を聴かせる場合、自分が弾けなかったらどうするのだろう?別に全曲を模範演奏のように弾きこなす必要はないだろう。でも、一部だったら?この場合、ピアノ教師はピアニストである必要はないだろうか?

「そこは○○でなく△△のように弾きなさい」とか「そこはそうではなく・・・」という場合、口頭だけではなく「こんなふうに・・・」と教師が弾いてみたほうがいい場合だってあるだろう。

生徒に弾けるようにさせるために、やはり教師は弾けたほうがいいのでは?もし教師が弾けない・・・ということはないまでも、「人前でクラシックの曲を弾いたのは、えっと・・・音大の卒業試験の時かしら?」では、やはり無理があるのではなかろうか?

生徒が弾けるようになったとき、あるいはとてもよく弾ける大人の生徒の場合、メカニックと音楽性というものを、どこか切り離してしか捉えられていなく、またその自覚もない場合、救ってあげられるのは教師だけではないだろうか?この場合、なぜそうなってしまうか、つまり音楽としてなぜ平坦に聴こえてしまうのかの、具体的な救済、アドバイスは教師の説明と、実際の演奏によって解明され、それが「指導」となるのでは?メカニックと音楽的表現は結びついていて、それは具体的な「テクニック」として具現しなければならないとしたら?

「何故そんな風に弾けるんですか?」「あなたのはこうなってるの。でも私はこうしてるでしょ?」「あっ、本当だ・・・」みたいなレッスン?口頭だけでそのようなことは可能なのだろうか?

「発表会はもうじきなのよ?暗譜できてないじゃない?どうするの?」・・・「どうするのって・・・先生が暗譜で弾いているの見たことない」

「聴いている人の心に訴える演奏をしましょう」・・・「でも先生の演奏、聴いたことないし・・・」

このようなことって巷では結構あるのでは?生徒は教師の背中を見て育つ・・・

ピアノ教師よりも声楽教師のほうが実際に歌ったりしているように思えるのは気のせいか?

アンジェロ・ロフォレーゼ、一部の声楽家の間では非常に有名な人のようだ。

① 有言実行・・・つまり実際に生徒の目の前で手本を示す
② 一生現役・・・何歳になっても舞台で歌う

声楽って、肉体が楽器だから、楽器そのものは衰えていくだろう。それはピアノなどとは比較できないほど歴然とした厳しいものだろう。でも歌って示す教師はピアノよりも多いかもしれない。

これはロフォレーゼのレッスン風景。やはり歌っている。この時、彼は70歳なのだそうだ。

kaz




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