ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

アネーロ 

 

本番前日って落ち着かないと思う。「~なったらどうしよう?」そのような思考になりやすい。

聴き手は演奏というものに何を期待するのだろう?もし自分が聴き手として客席にいたら、もし演奏の途中で演奏者が「~なったらどうしよう?」の状態になったとしても、一緒にドキドキすることはあっても、演奏そのものの価値を変えてしまうということはないのでは?ミスの有無は関係なく聴くのではないかな?退屈はしたくない。でも退屈しない演奏=ノーミスの演奏というわけでもない。

偉大なピアニストのような演奏?偉大なピアニストの演奏によって自分が感じたもの、その憧れのようなものが伝われば、それで聴き手は満足するような気がする。ノーミスで達者にその演奏者が弾けるとか、そうではないよね。

「自分がどう弾けたか?」そこよりも「聴いている人にとってどうなのか?」であるならば、自分で自分の演奏の聴き手になってみればいいのだ。

アネーロという言葉がある。まぁ、「憧れ」という意味なのであるが、歌手のホセ・クーラは、この言葉をもう少し重く解釈しているようだ。

アネーロ・・・息苦しいほど、痛いほどに激しい希望、そして憧れ

アネーロを感じたからピアノを弾いている、そうなのだとしたら、それは伝わる。きっと伝わる。

ステファンは少年時代、ニコライ・ゲッダの歌うこの曲と出逢った。歌というものに恋してしまった。アネーロを感じたのだ。苦しいまでの、痛いまでの憧れを。

「ああ、この世界に僕も触れたい、自分自身でも触れてみたい・・・」と。これは「この人のように歌えるようになりたい」というのと限りなく近いが、でも全く同じではない。彼のように・・・ではなく、彼が具現化した世界へのアネーロなのだ。

ショパン、リスト、ラフマニノフ、どんな曲を明日弾くにしても、かつてその曲に出逢った時のアネーロを舞台で捨てなければいいのだ。それは客席に伝わっていく。

kaz




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category: あっぱれ麗し舞台

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