ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアノにもプロトコル? 

 

フィギュアスケートにはプロトコルというものがある。大雑把に言ってしまうと、各ジャッジの採点表みたいなもの。ジャッジが、どこで加点したか、しなかったか、あるいは減点したかが分かる。ジャンプには基礎点というものがある。難易度の高いジャンプは基礎点が高い。でも、やはり、「ただ跳びました」というジャンプよりは、流れが前後で途切れず、ジャンプしている間も軸がぶれずに、身体がキレイに締まっているというか、細いジャンプのほうが基礎点は動かせないにしても、加点はされる。

また、転倒をしたとしても、そして転倒というミスは誰にでも分かるし目立つので、「あらぁ・・・」とは思うが、他の部分で質のいい技の連続であれば、凡庸な(加点があまりないような)ノーミスの演技よりは高得点が出たりする。そのあたり、スポーツなので明快というか。

二つの点で羨ましいのだ。難易度と同様に質も重視するというところ。そして、ミスの有無よりは、質を重視するところ。観客も「え~?どうして転倒したのにノーミスだった選手よりも高い点なの~?」などと大騒ぎすることもなく、何故にそうなったのかということを理解している。

フィギュアスケートだってピアノ演奏だって、ミスしたら「あちゃ~!!」とは思うものではないだろうか?少なくとも、ピアノよりはスケートの方が、その一瞬のミスを引きずることなく、「質」に集中というか、全体の印象というか、そのあたりに気持ちを切り替えやすいのではないかと。ルールで保障されている部分があるからというか。

もう一つ羨ましいのが、お芸術であるピアノよりも、フィギュアスケートというスポーツの方が、表現力というものは、質のいい技術と切り離せることはなく、一体化しているものだ・・・という概念があるのではないかということ。

「なんだか表現力に不足しているのよね。本当によくパラパラ難所も弾いているんだけど・・・」

この場合、表現力ということもあろうが、技術・・・ということだって問題要因の一つの可能性がある。例えば、タッチ。集中した音ではなく、大雑把な隙間のあるタッチしかない場合、音が散漫になる。どんなに心を、感情を込めようとしても、バシャン、ボヤン・・・という音しか出せなかったら?結果的にはサウンドとして「抑揚がないね」「表現が不足してるね」という印象になってしまう。もしかしたら、基礎的な音の出し方の問題なのかも?表現と技術とのリンク、それは難曲を弾けるようになってから、お芸術的に身につけるものではなく、ごくごく基礎の段階、「両手でシンプルな曲を弾いています」という段階から必要なことなのかも?

バイエルでした、5年後、ショパンやリストが弾けます。それだけでは満足できない人だっている。というか、多数派では?○○を弾ける・・・ではなく、どう弾けるかで悩んでいる人が大多数では?

素晴らしいスピン、それだけで美的表現ともなるスピン、そこには基礎的技術があるのではないだろうか?ただ「スピンよ~」と恍惚としてグルグル回っているのではなく、基礎的なスキルがある。

軸がぶれない、身体も大雑把に開いていないで締まっている、効率がいい、細い集中したスピンになる、結果的に「わ、凄い!」という観客を惹きつけるスピンとなり、全体の印象度もアップ、芸術点につながる・・・

スイスの選手って、男女関係なくスピンの上手な選手が多い。ルシンダ・ルー、この人のスピンは極上物ではないだろうか?

これは表現なのか?それとも技術なのか?ただスピンをしてみました~・・・ではなく技術と表現が一体化し、切り離せないような感じではなかろうか?何故ピアノだとその概念が難しくなってしまうのだろう?

ピアノのコンクールにプロトコルが存在したら、どんな感じになるのだろう?

kaz




にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: ピアノ雑感

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top