ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

共通認識 

 

フィギュアスケート観戦をしていると、羨ましく感じることがある。最近の傾向なのかもしれないが、「いいスケート」「スキルの高いスケート」というものへの共通認識があるということが羨ましい。基礎点の高いジャンプをただ跳べば・・・ということではなく、質が求められる。流れのあるジャンプ、空中姿勢の美しさとか。ノーミスという観点でも羨ましく感じる。転倒があっても基礎スキルの高い選手の点数が高いのは、もはやスケート界では当たり前のことなのではないだろうか?

このようなこと、共通認識が、スケート関係者だけではなく、ファンにも浸透していることが凄い。選手やコーチ、ジャッジだけの認識で、観客は置いていかれるということはなく、「美しいスケーティング」というものが評価されるということは、観客も認識している。

ピアノの場合、このあたりが曖昧なのかも。そもそも「いい演奏」という観点が曖昧のような気がする。フィギュアスケートであれば、ノービスの選手であろうと、国の代表としてオリンピックに出場するシニアの選手であろうと、「何を目指すか」「どうすれば評価されるか」というところは共通しているような?

先生によって、その人のピアノ運命が決定されてしまうようなところはないだろうか?もしその先生が「脱力命」のようなところがあり、どこもかしこも腕ふりや手首ふり満載で、フワンフワンと音が散ってしまったりとか、反対に固く構えすぎて、鍵盤チョップのようなワンワン演奏だったり?この場合も、音は散っていたりして・・・

そもそも「いい演奏」とは?世界共通、立ち位置共通の弾き方ってないのだろうか?

「趣味のピアノ」「アマチュアのピアノ」「二流(?)音大生の演奏」「難関音大生の演奏」「ピアノ教師の演奏」「プロの演奏」「世界的なプロの演奏」・・・目指すものがいろいろあるような?学生らしい演奏って?よく分からない。世間的立ち位置によって目指すものが変化するという感覚が分からない。音符の少ないシンプルな曲だろうと、音大生だろうと、初歩だろうと何だろうと、「いい弾き方」というものは必要なのではないだろうか?

スケートのように共通認識があるといいと思う。演奏には「いい演奏」と「悪い演奏(退屈な演奏?」があって、自分が世間的にはどのような立ち位置にいようと、やはり目指すのは「いい演奏」のほうが弾いている人は幸せなのでは?

いい演奏のための共通した認識、これが重要であるように思うが、ピアノだとそのあたりはどうなのだろう?○○奏法?△△奏法?そのような分類以前の「弾き方」のようなもの・・・

演奏を聴く、この時には○○奏法とか、あまり考えて聴いている人はいないだろう。でもその人の演奏、ただツラツラと過ぎ行くものなのか、多少の破綻はあっても、「えっ、素敵・・・かも?」と感じるか、このあたりはシビアに、というか、聴こえてきてしまうものではないだろうか?何かが存在しているのでは?感性とか音楽性とか才能というもの、そこに視点を移してしまい、「ああ、私は・・・」と考えるよりは、何かを伝えるには、基礎的な伝達方法というスキル、弾き方があり、そもそもの弾き方を習っていないのでは・・・と考えてみる。

ただ音符が並んでいるようにしか弾けない、その場合の問題は、感性とか、そんな曖昧なものではなく、実は「弾き方」なのかもしれない。

ピアノにもフィギュアスケートのような、共通認識があるといいなと思う。本当は「弾き方」ってあるのかもしれない。共通の、どんな立ち位置にいても必要なスキル、弾き方。なぜ認識されていかないのだろう?

kaz




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