ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

月の輝く夜 

 

今でも満月だったりすると、医大生と聴いた、この曲が頭の中で流れたりする。あの時の月夜の日から、彼の僕に対しての、音楽の聴かせ方が変わったのだと思う。

オペラの全曲盤を、身振り手振りで、あるいは彼なりの絶妙な解説を加えながら聴くのは楽しかった。オペラだけではなく、それまでの彼は、子どもだった僕に、音楽を「紹介する」という聴かせ方だったように思う。

「真珠取りは全部聴く必要のないオペラだから、ゲッダのアリアだけを聴いてみよう。震えるような旋律でね・・・」

10歳だった僕に、ゲッダの歌うナディールのロマンスは強烈だった。ここまで汗とか労力というもの、一生懸命さを感じない演奏ってあるだろうか?ハイCをここまで柔らかく表現するテノールが今現在いるだろうか?

レコードを聴かせてもらううち、小学生にしては夜遅くなる時間になることも多かった。そんな時は医大生が家まで送ってくれたりした。

「音楽って悲しくて切ないんだね」僕の言葉に彼は少し驚いたようだった。「そうだね・・・そうなんだよ」月の輝く夜、そんな会話をしながら二人で歩いた。

それから彼の聴かせ方が変わった。レコードを途中で止めて、「今のところ、もう一度聴いてみるけど、ここが凄いんだ。、Kaz君も感じるだろ、そう、ここだよ、こういう個所をこのように歌うということで演奏と曲を素晴らしいものにしている・・・」「Kaz君が、ここって感じたら僕に教えてくれよ。君なら感じると思う」「そう、そこだよね、もう一度戻して聴いてみるよ・・・」

素晴らしい演奏が、素晴らしい演奏として聴き手に伝わってくる、ある要素、それはマニュアル、ノウハウの如くに規則性があるように僕には思えた。新しい音楽の聴き方だった。漠然と「いい曲ね」「上手ね」と聴くのではなく、そう感じさせるものを解いていくような聴き方・・・

今思えば、この時の体験が僕にとっての「ピアノレッスン」「ピアノのお稽古」になったような気がする。むろん、「これはピアノの先生の役割なのでは?」とは当時でも思ったものだ。「何故ピアノの先生はこういうことを言ってくれないんだろう?」と。でもそんなものなのかもしれない。今、多くの音大のレッスン室で、何故「美」というものを「美」と感じさせるのだろう・・・というものを具体的に追っているようなレッスンが行われているのだろうか?いないだろう・・・と思ったりする。

切なさの理由を僕は知りたかった。切なさに浸りながら人生を生きてきた。ピアノを再開してからは、切なさを追うようになった。

月の輝く夜に感じた切なさを・・・

kaz




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