ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

流浪 

 

ヴェツェイの師にフバイがいる。フバイは愛弟子ヴェツェイ少年を自分の師であるヨアヒムに託したわけだが、もちろん自分の師ということもあっただろうが、ヨアヒムが同じハンガリー人であったことも関係していたのではないだろうか?

非常に強い自国への誇り、自国の文化への誇り、これはどこからくるのだろう?ヨーロッパ人との付き合いから感じることだ。若い頃の僕は、日本独特の「呪縛のように固定化されたもの」から逃れたかった。アメリカ逃亡(?)という手段もそこからきていた。でもヨーロッパ人は、どこか「固定化」を求めるような?

自分の国はある、国境もある、でもそれはいつ変わってしまうかもしれないような流動性がある。紛争も人種間の争いも多いので、いつ自分たちの国が大国に吸収されてしまうのか分からない。なので、奪えないもの、他人に渡さなくてもいい、自分たちの文化を守る、そこに誇りを感じる、流浪の民にいつなるのか分からない不安定さ・・・

ポーランド人からも、そのようなものを強く感じたし、一般的には「陽気」とされているイタリア人からも感じることだ。川向う、あるいは、山を越えたら、そこには異国があり、異なった文化を持つ人々が暮らしている、この感覚は僕には分からないものだ。

フバイの「カルメン幻想曲」は最近演奏される頻度も高くなってきているように感じる。サラサーテやワックスマンのものは以前から有名だったが、フバイの知名度アップは嬉しい。ヴァイオリンの小品では「クレモナのヴァイオリン作り」という哀愁漂う曲も素敵だ。でも、これらの作品はヴァイオリンを弾く人にとっては、良く聴く曲なのかもしれないが、ピアノ弾きにはそうでもないだろう。

「チャールダーシュの情景」と呼ばれる曲集の第4番、この曲がフバイの曲の中では最も有名なのではないだろうか?「へイレ・カティ」と呼ばれる曲だ。この曲は特にヴァイオリンに親しくない人でも「あっ、これ、聴いたことある」という曲かもしれない。

明るい曲、陽気な曲・・・なんだと思う。でもここまでの「ハンガリー色」を打ち出された演奏、曲を聴くと、「これだけは守り抜いてやる」というような、誇りさえ感じてきてしまう。流浪の哀愁さえも・・・

kaz




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