ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

一瞬の光 

 

ベネズエラの音楽教育システム「エル・システマ」は南米諸国だけではなく、世界中に広がっているのだそうだ。でも、やはり裕福な先進諸国よりは、キリスト教が浸透している、どちらかと言うと、貧しい国々で盛んであるような印象は受ける。

「エル・システマ」って?

内容についてはネットで検索して頂くとして(丸投げ?)、この「エル・システマ」そのものに、音楽の持つ不思議な作用というか、効果のようなものを利用しているところがある気はする。つまり・・・

「演奏をするということは、厳しいもの。専門的に学び、専門機関で厳しい修行に耐え、選ばれた人がプロになる」でもなく「趣味なので、それなりに楽しく、それなりに弾ければ・・・」でもなく・・・ということだ。

もっと音楽って大きいものでは?スラムから這い出すという困難さ、日本での非行などとは比較できないほどの深刻な環境に置かれた子どもたち、殺人とか麻薬とか、あるいは売春などの言葉が浮かぶ。そのような中で「一人の人間として、あなたは価値のある存在なのだ」「生きるって、人間って、そして世界って本当は素晴らしいものなのだ」ということを実感する、させるというのは非常に難しいことなのだろう。なので音楽・・・なのだ。むろん、最初は音楽は手段として使用されるのかもしれない。自分を守る手段。でも真剣に音楽と接しているうち、感じる瞬間があるのだ。音楽を聴いて、そして自分で自分なりの音世界を作りだしていくなかで、光のようなものを感じるのだ。それは一瞬なのかもしれないが、その一瞬の心の動きと音楽の動きが一致する時がある。それは、まさに光の瞬間・・・

「ああ、音楽ってなんて素晴らしい」「ああ、生きていくって素晴らしいことなのかもしれない・・・」

音楽は手段であり、そして目的となっていくのだ。「目的」・・・コンクールに入賞してとか、プロになってとか、そんなことではないのだ。自分、自分を取り巻く世界を肯定するということだ。音楽はそのようなことを光で自覚させてくれるのだ。生きる目的を実感するというかね。言葉での説明は困難だが、音楽でそれを感じる瞬間はあるのだ。だから弾いたりするのだ。上手になるとか、達者になるとか、そうではなく、生きるんだね。それだけの力が音楽にはあると信じる。

光を感じられた人の演奏は、やはり人の心を動かすのでは?表面上の稚拙さ、上手さではなく・・・

ここで演奏している「エル・システマ」の経験者たちは、光を感じた人たちなのだ。なので、聴き手に伝わっている。聴き手も拝聴させて頂く、ミスを数えている・・・ではなく、共に音楽を感るのだ。光を見たから・・・

もし、彼らに音楽がなかったら、「エル・システマ」がなかったら、多くの子どもは、路上で生活し、あるいは命を落とし、自分の価値を感じないで死んでいったのかもしれない。

彼らの瞳の輝き、表情の輝きは、音楽によって光を感じた人のものに思える。

カテゴライズしなければいいのに・・・と思う。この人はこうだから、ここが違うのだ・・・ではなく、違うところもあるかもしれないが、それが個性。でも同じところもあるよね?肝心のところは人間は同じだよね・・・と考えればいいのに。同じなのは何だろう?それを考えればいいのに。

kaz




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