ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

身の程 

 

今年の夏、ブラジルで盛大にオリンピックが開催され、日本人選手の活躍が、これまた盛大に伝えられていた頃、ブラジルの一本の映画が公開されていた。あまり話題にはならなかったのだろうか?僕が観た日は平日ということもあったのかもしれないが、混んではいなかったように思う。

「ストリート・オーケストラ」という実話を基にした映画だった。

話題は突然ずれるが、今月の16日に、あるフレンチレストランで演奏する。日本グリ―グ協会なる団体の主催。僕は会員ではないのだが、会員の紹介で演奏する。なぜか心が重かった。理由を考えてみると、僕自身がそれほどグリーグや北欧の作品に詳しくもなかったし、ピアノを再開して人前で弾くようになってからも、それらの作品を積極的に弾いてきたとは、とても言えないからだと思っていた。「出演する資格なんかあるのだろうか?」おそらく会員の方々はグリーグや北欧の作品に対して深いのだろう。そのような人たちが主催する会で僕などが弾いていいのだろうか?そんな思いが心を重くしていたのだろうか?グリーグ協会名誉会員「館野泉」なんてあると、「僕なんか場違いでは?」などと思う。

でも心の重さは、そのことではないと気づいた。

「素人の分際で・・・何様だと思ってるの?」来年、リサイタル(コンサート)をしたい・・・というか、するということをブログに書いたあと、この種のメールが来たことがあった。むろん読んで不愉快になるというか、気持ちは良くはならない。気にしないように流してきたつもりだが、どうも僕が素人の領分という身の程を考えた範囲を超えてしまったということ、その反応に対して心が重くなっていたような?

「人様に聴かせることのできる演奏、素人やアマチュアには無理、それは苦しい修行を経てきたプロだけが実現できるもの」そのようなニュアンスのメールを読むと、自分への肯定感は、いくら僕でも揺らぐ。心の重さはそこからきていたのかもしれない。「アマチュアはアマチュアらしく身の程を考えてそれらしくしていなさい!!!」

生きていくうえで、自分自身が自分を肯定しているということは、結構大事なことのように思うが、違うのだろうか?たとえば、アマチュアが人前で演奏する際、聴き手のことを考えるとか、それは不遜な考え方なのだろうか?個人的にはアマチュアだろうが、「ワーン、どうしよう・・・」みたいな気持ち、あるいは「自分なんてまだ未熟で、全然弾けなくてお耳汚しなんですが・・・」みたいな気持ちで人前で弾いたら、それこそ聴いている人に失礼だと思うのだが、違うのだろうか?

ある音楽から感動を受けた。それを感じた自分は素晴らしいのだ・・・そのように肯定してしまったら攻撃されるのだろうか?

プロはプロ、素人は素人、素人はそれらしく「自分なんてまだまだでぇ・・・ほんの趣味なんでぇ・・・」と言っていれば、思っていればいいのだろうか?

音楽を演奏すること、演奏技能を身につけることによって、自尊心、自分への肯定感覚を育む、「あなたは素晴らしいんだよ?価値のある人間なんだよ?」ということを音楽教育を通して育んでいく。プロ領分、アマチュア領分という身の丈思想とは、ある意味逆の考え方。

「君たちはもうスラムの不良なんかじゃない。君たちは今日から音楽家なんだ・・・」

ブラジル映画、「ストリート・オーケストラ」の中のセリフ。このセリフは「君たちは生きていく価値のある人間なんだ」というようにも聞えてくる。

ブラジルだけではなく、南米全体がそうなのかもしれない。それは貧困という日本ではあまり考えられないような世界ということも関係しているのかもしれないが、選ばれたエリートだけ、その他下々の者は、ただ受けとっていればいいのだ、自分も触れてみたいなんて、身の程しらずなのだという考えとは、正反対の考えが存在しているように思えてならない。ベネズエラの「エル・システマ」とか、この「ストリート・オーケストラ」とか・・・

スラムという場所に生まれ、育つ。親や友人が拳銃で殺され・・・なんていう世界らしい。街角には銃弾の跡・・・「趣味でピアノを楽しく弾いています」なんてありえないような世界。でもそこで音楽が生まれる。生きていくために。そのために大切な自己を肯定し、「自分は生きていく価値のある素晴らしい人間だ」と子どもたちに自覚させるために。

少なくとも、南米式のほうが夢はあるように思うが・・・

kaz




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コメント

 

「今日から音楽家だ」

「今日からお前たちは 不良ではなく 音楽家だ」という言葉、
泣けますね。。泣けますが、、当然とも思います。

「アマチュアの分際で」的な攻撃をする人が、
一体どういうことを指してプロとかアマチュアとか言っているのか
知りたいですね。

学歴で言うなら、アルゲリッチもポリーニもアマチュアになるし(^_^;)
・・・なんていう記事を私も書きました。。

第一、音楽は、学校で習っただけで終わっていいほど浅いものではないので
ずっと学び続け、磨き続け、感じ続け、吸収し続けて、
進化し続けていくものではないかと思います。

卒業後に、いくらでも別次元にレベルは変われます。

なのに、学歴に拘る人は、学校を出たら何も変わらないと思っている。
つまり、卒業後、何もしていない証拠ではないかなと思ったりします。

演奏力を言うのなら、一流音大を出ても、
演奏を聴いて泣いてもらった経験の無い人はたくさんいます。
(親戚が、こんなに大きく立派になって・・と泣くのは別です。)

kazさんの演奏を聴いて感動で泣く皆さんがいらっしゃるので、
感動してもらえない音大卒の専門家より、ずっと「音楽家」だと思いますよ。

Megumi #3/2tU3w2 | URL | 2016/10/12 21:37 | edit

Megumiさま

ありがとうございます。

中傷メールというか、そのようなメールは、やはり凹んでしまうのでしょうか?でも自分のピアノについて・・・みたいな狭い範囲での落ち込みというのとは(それもあるが)少し違って、「なんでこうだからこうあるべき」みたいになんでもかんでも決めつけてしまう人がいるのだろうという、という一抹の寂しさというのでしょうか、そのようなものを感じます。

プロだから、アマチュアだから、初心者だから、上級者だから、男だから女だから、高齢者だから、病気を患っているから、既婚だから未婚だから・・・等々。

kaz #- | URL | 2016/10/12 21:58 | edit

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