ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

弾けなくなる時はきっとくるから・・・ 

 

歌手のマンゴが亡くなったのは一昨年であっただろうか?友人のルカは同じイタリア人なので、マンゴの熱烈なファンというわけではなくても、非常にショックだったらしい。「マンゴが突然亡くなるなんてね。信じられないよ。イタリア人だったら誰でもショックだと思う」

たしか、心臓発作だったのではなかったか?舞台上、歌っている途中で突然歌えなくなり、そのまま意識がなくなり、亡くなってしまったと記憶している。

マンゴの例は特別なのかもしれないが、でもレナード・ウォーレンも舞台上、歌っている最中に倒れ、そのまま亡くなっている。まあ突然死というのは普通ではないとしても、ピアノなんていずれ弾けなくなるのだ・・・と思う。多くの場合、命が尽きるまでの短くはない時間、「ああ、もう弾けないんだ」ということを自覚しながら、死に向かっていくことになるのが普通なのではないかと思う。

ターミナルイルネスにより、病院のベットで過ごす、意識は明瞭だが、身体はもう動かない・・・なんて、そんなに特別なことでもないような気がする。

死、そのものよりも「もう弾けないんだ」と自覚する期間のあるということが非常に怖い。その場合、僕だったら何を後悔するだろう・・・などと考える。そんな段階になったら、もう死のことだけ、病気の辛さだけで精一杯でピアノのことなんか考えないだろうか?でも、そのような時って、失ってしまったものを想うものではないだろうか?

自分が受けた感動というのかな、そんな音楽に自分でも触れたかったと思うような気がする。僕などは芥子粒のような存在なのだから、むろん理想の音世界になんて自分では近づけないだろうが、でも「やってみた」という事実、憧れたという事実は、そのような時の自分を随分と癒すのではないだろうか?

「プロじゃないし・・・」本当にそう思えればいいけれど、人の演奏を聴いて、心が動いた、涙した・・・などという人は「ああ、本当にトライしておけばよかった。諦めないで、自分には無理、関係のない世界のこと、なんて思わずに、やってみればよかった」と弾けなくなった時に感じるのではないかな?

弾けなくなってから、「本当のピアノを弾いてみたかった」と自覚するなんて幸せじゃない。

マンゴって唸るような上手さ・・・というタイプの歌手というよりは、聴き手の痛みにタッチしてくるような歌手だったのではないだろうか?ルカが送ってくれたCDを聴きながら、そう思う。

マンゴの歌を聴いた人の多くは、自分の心の傷を想い、「マンゴ・・・あなたもなんですね」と何かを共有したのではないだろうか?

だからマンゴが亡くなった時、多くのイタリア人が彼に「ありがとう」と言ったのだ。

kaz




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