ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

シャコンヌ 

 

Aさんとは留学中に知り合った。彼はヴァイオリニストだったけれど、何故か僕を可愛がってくれた。「kazさんは本当に音楽が好きなんだな」彼はそう僕に言った。その頃の僕はピアノなんて弾いていなかったし、完全に音楽は聴くものとして捉えていた時期だった。

「またピアノを弾けばいいじゃないか?」

「でも・・・」僕はその時、ピアノを弾かない、弾けない理由を100個ぐらいは並べ立てたように思う。「今は勉強が(英語が?)大変」「音楽とは全く関係のない学問だし」「ピアノだってないし、レンタルにしてもお金は今はないし、貧乏学生だし」

そんな不甲斐ない僕をAさんは非難することはなかった。ただ微かに笑うだけで・・・

Aさんは、日本人だけれど、日本の教育はあまり受けずにアメリカに渡った。父親が駐在員・・・とかだったと思う。ヴァイオリンはアメリカで目覚めた。ジュリアード音楽院を目指した。そして入学後、初めての挫折を味わったのだと言う。「同じクラスに滅法上手い奴がいてね。ピンキーという愛称だったのだが、そいつの演奏を聴いて正直、自分との器の違いを感じたよ。元々の才能が違うのだとね。その頃は自分にも才能はあるかもしれないと自惚れていたから、ピンキーにはショックだったね。ハドソン河をじっと理由もなく見つめていたものだ。飛び込んじゃおうか・・・とか一瞬思ったりしてね」ピンキーとはピンカス・スーカーマンのことだ。

「自分は芥子粒のような才能だし、存在だけれど、でも音楽はどの人にとっても芥子粒なんかじゃない、そう思えたんだ。もっともそう思えるまでには数年は必要だったけれど・・・」

音楽そのものは、演奏する側が、どのような立ち位置にいようと、変わらないものだ・・・それはAさんの持論だった。僕が「ずっと弾いていないし、ブランクも長いし、どうせ素人ピアノだし」そんな意味のことを言うと、Aさんは本気で怒った。「音楽に素人もなにもない。音楽は音楽だ」と。

「僕は故郷で死にたい。先は長くはないように思う」Aさんは末期癌を患い、日本に戻っていた。僕も留学を終え、現実の厳しさを感じていた頃だ。住んでいる所が近かったこともあり、Aさんとはよく話をしたりしていた。

「まだピアノは弾かないのかい?」

僕は甘かったんだな。留学してアメリカの大学院の学位があれば、就職なんて簡単だと思っていたのだ。その頃の僕の職業、自分では「黒服時代」と呼んでいる。夜、酒・・・というアルバイトをしていた。飲食業だね。完全に昼夜逆転をしている生活だったし、ピアノどころではなかった。

「身体、壊さないようにな、もっとも僕が言っても説得力ないか・・・」力なくAさんは笑った。

日本に戻ってから、Aさんには演奏の仕事はなかったように思う。たまにはあったのかな?でもAさんは「日本には死ぬために帰ってきたのだから」とそう言った。

Aさんの憧れはジノ・フランチェスカッティだった。「僕にとっては神様のような存在だよ。僕自身は芥子粒でも何でも、彼に憧れて追い続けた後半生は光り輝いている。そう思うんだ。光り輝いているとね。そんなものだよ・・・」

本当に久しぶりなんだがと言いながら、座位でヴァイオリンをAさんは聴かせてくれた。「この曲をジノのように弾けたらと若い頃から願っていたよ。それでいいんだ。むろん、ジノのようには弾けなかったけれど、でもいいんだ」

Aさんのシャコンヌは壮言なものとして僕に入ってきた。途中で突然Aさんは演奏を止めた。「体力が続かない・・・もう無理だ」

芥子粒のような存在、人間一人一人はそんなものなのかもしれない。でも音楽は演奏する人の立ち位置によって変化するものだろうか?「自分はアマチュアなので、これぐらいの感動度で」とか「感銘を受けた世界に素人が自分で触れたいなんて図々しい」とか、コロコロと変えるべきなのだろうか?身の丈にあった表現・・・???

なんだか、あの世にいるAさんに怒られるような気がする。本気で怒るだろうなぁ・・・

kaz




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