ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

あるラフマニノフ 

 

自分に正直でいるというのは非常に難しい。最も自分の人生を肯定しようと無理していた時期、それは就職する時だったかなと思う。本心では「日本だけではなく異文化の中でも暮らしてみたい、一つの価値観だけではなく、異なった世界も知りたい」という欲求を感じていたと思う。でも僕はその本心を封印し、与えられた現実を肯定しようとしていたように思う。教員採用試験に合格してしまったんだね。これは予想外だった。でも僕にはその人生を振り払い、外国に出ることのできない理由があった。お金がなかったのだ。勇気も足りなかったのかもしれないが。

両親は、無干渉というのか、自由奔放主義というのだろうか、子どもの生き方に一切口出しはしなかった。それは非常にありがたかったが、経済的な援助も一切しなかった。「20歳になったら大学の学費は自分で払いなさい。この家からも出ていきなさい。自活をしなさい。20歳を過ぎたら大人なんだから」このような両親に留学費用の援助は望めないと思った。自分でなんとかしなければ。

しかしながら、自分に与えられた教員という人生を、本当に望む人生への、一つのステップと考えることは若かった僕にはできなかった。なので、教員をいう職業を肯定した。とにかく働かなければならなかったのだ。

卒業前だっただろうか、それとも就職して無理やり捻出した休暇の時だっただろうか、記憶が定かでないのだが、僕はニューヨークで、ある演奏を聴いた。この時の演奏は、かつて中学生だった僕の心を切り刻んだバーンスタインのように、再び僕を切り裂いた。この時はアンドレ・ワッツの演奏によって切り刻まれてしまった。

自分の本心ではなく、世間一般での常識、そのようなものに無理やり併合してしまう時に、音楽というものは残酷なまでに心に入り込んでしまうものと思う。少なくとも僕の場合はそのようなことが多い。堅実に生きるという選択だってあるんだ。いいじゃぁないか、教員なんて立派な職業じゃないか、誰でも合格するというわけでもないんだ。

自分を封印したのだ。そのような時、突然美しい音楽は残酷なものとして僕に切り込んできてしまうのだ。

完全に観光客気分だった。エイヴリー・フィッシャー・ホールは有名なリンカーン・センターの中にある。メトロポリタン歌劇場やジュリアード音楽院の建物を外から眺めながら「さすがにアメリカはスケールが違う」などと感じていた。エイヴリー・フィッシャーとは人の名前だったということも知った。オーケストラ(ニューヨーク・フィル?)に多大な寄付をした人らしい。10億5千万ドル(円ではない)もの寄付。「スケールが違う・・・」などと感じた。ワッツはアメリカピアノ界のスターだった。彼のラフマニノフを聴きながら「うーん、さすがに日本のスターピアニストとはスケールが違う」などと感じながら聴いていた。

そして徐々に切り刻んできたのだ。「お前は本当にそれでいいのかい?」「表現したいという感情は本当に封印できるものなのかい?」

この時は歩きながらではなく、客席で大泣きしてしまった。周囲の人は演奏に感動していると思ったのではないだろうか?

ピアノのある人生を選択するのには、まだ時間が必要だった。今思えば、30年間も自分の気持ちを封印しておく必要はなかったと思う。でも今だからそう思えるのだ。それぞれの時期、30年の間、やはりそれなりに大変だった。住む場所を変え、職業も転々とし、生活の中にピアノというものを取り込んでいく余裕はなかった。音楽に切り刻まれても。

「人生は永遠に続くものではない」そう認識させられる出来事があった。その時にピアノというものが初めて僕の人生の中にすんなりと入り込んできた。極めて自然に。

人生を、ある意味で逆算したのだ。「もし自分に残された時間が5年だったら、3年だったら、1年だったら、半年だったら、僕は何をしたいだろう?何を最後の瞬間にやり残したと後悔するだろう?」その時の選択にピアノというものもあったのだ。

初めは薄氷を踏んでいくような、世間一般での再開と同じだった。譲り受けた電子ピアノでトツトツと孤独に弾いていた。レッスンを受けたいと思った。先生を探した。人前でも弾きたいと思った。ピアノのサークルに所属した。憧れの曲もあった。弾いてみた。人前でも弾いてみた。「まだまだだな」「意外と弾けた?」・・・ごく普通のピアノライフが始まった。でも多くの人と異なる要素もあったと思う。それは逆算人生の考え方。

ある意味、僕は身の丈思想を捨てた。ある演奏家の演奏に感動したとする。その場合、自分はアマチュアなんだから、とか、そのように自分を封印しないように、もう二度としないように自分に誓った。

「この世界に自分も触れてみたい」「できないかも、一生無理かもしれない、でも最初から身の丈思想に自分をあてはめてしまい、ここまででいいじゃないかとは思わないようにしようと」

人生の最後の瞬間に「やってみる価値はあったのでは?一瞬でも触れられたかもしれないよ?なんでそうしなかったんだい?」そう後悔したくなかったのだ。

非常に傲慢な感覚なのかもしれない。素人が偉大な演奏家のみが醸し出せる世界に触れたいと願うなんて・・・

素人なんだから、アマチュアなんだから、それなりでいいじゃない?ピアニストのように?なんて不遜な考え・・・

そのように思う人がいたっていい。身の丈思想も一つの考え方だ。世間一般の無難な考えなのかもしれないね。いくら感動しても、自分というものと見事に切り離す。人から何かを言われることもないしね。「謙虚よね」と。

でも僕は封印はしないことにした。また音楽に切り刻まれるのは金輪際イヤだし、最後の瞬間に後悔したくないから。世間の常識は最後の瞬間に助けてはくれないよ。「できたかもしれないのに・・・」その時に救ってくれるのは自分だけだ。自分がやってきたこと。

初心者だから、素人の領分で、アマチュアらしく、本当にそう思うのならば、それでいいと思う。でも他人から何か言われたらとか、そのようなことであったら、いつか切り刻まれるかもしれない。

kaz




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