ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

慟哭 

 

中学生になって、うまくピアノのお稽古は辞められたと思った。でも先生を変えて・・・とも一度は思ったのだ。実際に探した。当時、即興の好きな、実力に見合わないような曲を勝手に弾いていた中学生を好きなように泳がせて(?)教えてくれるという先生はいなかった。「バイエルが終わってない?じゃあ終わらせなきゃ。悲愴?幻想即興曲?無理に決まってるでしょ?」

やはり辞めてよかったのだ。鑑賞者として音楽は楽しめばいいのだ。ピアノなんて趣味だったのだ。いいじゃない?それでいいじゃない?プロになるわけでもないし、音大なんかに行きたいわけでもないしね。

退屈な練習から自由になるんだ。自分が感動を受けたからって、そこに触れたい、自分でも触れたいなんて思わなければいいんだ。僕は鑑賞者、音楽愛好家、それでいいじゃない?

そもそもプロのピアニストの演奏から感銘を受けたからって、自分に何の関係があるというのだろう?憧れ?聴き手としてね。自分でもそのように表現してみたいだなんて微塵でも思ったら、そりゃあ傲慢な考えだろう。趣味趣味・・・それでいい。

しばらくしてピアノさえ売り払われたのか、部屋からなくなっていた。別にいいじゃない?鑑賞者なんだから。今まで習っていた、ピアノが好きだった、でもそれは趣味として。中学生になったら忙しくなりそうだから辞めると言ったのは自分なんだから。

東京文化会館でバーンスタインの演奏を聴いた。というか、指揮ぶりを見たというか?中学生だった僕をバーンスタインの音楽は切り刻んだね。音楽は深い感動を呼ぶものだと思っていたけれど、ここまで残酷に心を引き裂くなんて思ってもみなかった。

「お前は表現したくないのか?音楽を聴いて爆発しそうなんじゃないか?どうするんだ?これからどうするんだ?」

なんだかバーンスタインの音楽はそのように僕に迫ってきた。「だってピアノなんて趣味だったし、これからもそうだし・・・」

会場を出て歩きながら僕は封印しようとした。「自分でも触れたいなんて、なんて傲慢なんだ!生意気なんだ!専門的に勉強するわけでもないんだろ?その気はないんだろ?だったらいいじゃないか。関係ないじゃないか?」

上野から電車には乗れなかった。涙が止まらなかったから・・・

自分でも・・・なんて、プロを目指す人だけのこと。自分は感じるだけでいいんだ。触れたい、表現したいなんて思ったらダメなんだ。鑑賞者の領分から出てはいけない。自分でも・・・なんて素人のくせに図々しい」

封印した。聴くだけでいいんだ。多くの人はそれで満足しているんじゃない?

だったらなぜあの時涙が止まらなかったのだろう?

素人が美を求める、自分でも美に触れたい、できれば人と美を共有したい、そう思うのはいけないことなのだろうか?

この時、泣きながら歩いた、その時の慟哭・・・もう二度と味わいたくはないと今は思う。他人から、素人の分際で・・・と言われても、書かれても味わいたくはないと思う。

kaz




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