ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

どう聴こえているのだろう? 

 

「ねえ、今日の練習会、バラ4が二人いたよね、珍しいよね、バラ1とかスケ2だったらよくあるけど」「ベトソナも多くなかった?」「そうね、会場のピアノがベーゼンということもあったんじゃない?」「次回の練習会、ベヒ様なんだって」「そうなんだ、久しぶりにモー様弾いてみようかな?」「あら、あなたに合っているんじゃない?」「スケ3のキラキラしたパッセージもベヒには合っているかも」「スケ3なんて弾けないもん」「あら、あなただったら弾けるんじゃない?」

この会話、サークル内だったら通じるかもしれないが、一般人には通じないような?スケ3?助さん?・・・みたいな?

アマチュアって、どうしてもサークルとか狭い範囲で捉えがちになってしまう危険性がある。聴き手はいつも仲間、ピアノを弾く人たち、ピアノで苦しんでいる(?)人たち。ピティナのステップなども同じかな?クラシックなどには日頃縁遠いオジサン、オバサン、オジイチャン、オバアチャンに自分の演奏がどう聴こえるかという観点が遠くなりがちだ。教室の発表会だと聴き手は少しだけ広がるだろうか?「可愛い孫の晴れ姿を見に」くる祖父母・・・とか?このような人たちは孫が目的で、ショパンやリストの曲が目的ではなかったりすることもあるのでは?そのような人たちに「あっ、この人の演奏・・・なんだかいいかも?」と感じさせる魅力が自分の演奏に備わっているだろうか・・・という観点、それがサークル内だけの価値観に染まってしまうと忘れがちになる。

むろん、アマチュアなんだから、ピアノを弾く目的はそれぞれだ。演奏というもの、そこに他者との心の関わりなんていうものを求めないピアノ道だってあるだろう。極端な例だが、「上級者を見返してやれ」という考えのもとにピアノを弾く人だっているかもしれないし、「他者?聴き手?そんなことはプロの世界のことでしょ?」と割り切ってしまう人だっているだろう。人それぞれだ。

でも、その人が本当に心の底から感動してしまう演奏に出逢った時、日頃そのようなサークル価値観だけでピアノを弾いていたとしたら、慟哭・・・のような感情をどのように自己処理するのだろう?ピアノ演奏への感じ方として「わあ、あんなに難しい曲をノーミスで」とか「あんな初心者が弾くような耳だこの曲なんて弾いちゃって」とか、「今度は私だってノーミスで」とか、そんなことばかりに重きを置いてピアノを弾いていたとしたら・・・

自分自身が感じた慟哭、それを追えない、自己処理できないというのは、随分と辛いことなのではないだろうかと想像する。自分内だけの自己実現達成、見返して・・・みたいな感情でピアノを弾いていたら、慟哭感情なんて認めないのかもしれないが・・・

サークル内だけの価値観(ベトソナ、モー様感覚?)でピアノ道を進んでしまうと、どうしても他者との表面的な比較になってしまう危険性がある。そうなると、まず「自分がどう弾けたか」ということばかりを重要視してしまう。より大切なのは、「人はどう感じたか」ではなかろうか?その「人」という聴き手もサークル内の人・・・ではなく、クラシックなど詳しくはない「人」にどう聴こえるか・・・

本番が近づく。当然自分が人前で落ち着いて演奏できるか心配になり緊張してくる。「弾けるかしら?」「失敗したらどうしよう?」

ほんの少しだけ一般人のことを思い浮かべてみたらどうだろう?今日コンビニで会ったレジのお兄ちゃん、先週検診で会ったナース、そのような人たちに自分の演奏はどのように聴こえるか、「あら、素敵な曲じゃない?なんの曲なのかは知らないけれど、聴いてしまうね」という演奏を考えてみたらどうだろう?少しだけ目指してみたらどうだろう?ほんの少しだけサークル価値観から飛び出してみるのだ。

このようなことを、ツラツラと綴ってきて想いだした演奏がある。シルヴィア・シャシュの歌唱。たしか中学生の時だったと記憶している。それまで僕はテノールの声が大好きで、女性の声にはあまり馴染みがなかった。ある人の「今の、今現在のシャシュの歌唱を聴いておくべきだ」という助言に従い、心の片隅では渋々という感じで聴きに行ったのだった。「ソプラノってなんだかな」という感じであったし、ソプラノのアリアなんて馴染みがなかったし。実はこの有名な「トスカ」のアリアもこの時初めて聴いたのだった。

もし、僕の「初トスカ」が有名音大を卒業したばかりの、高音だけビャービャー出るような人の「トスカ」だったら、声すらなく、貧弱な縮緬声の「トスカ」だったら僕はどう感じただろう?「なんだかあまり上手くないな」と、その演奏者を判断したと思うし、さらに「トスカ」なんてつまらない、退屈だなとも感じただろうと思う。そしてプッチーニなんて、オペラの(ソプラノの)アリアなんて退屈なものなんだ・・・とさえ思ってしまった可能性がある。

演奏というものは、他者がどう感じるかということを考えると、その演奏によって、演奏者自身だけではなく、曲や作曲者、クラシック音楽全般においてまで、他者は判断してしまうことだってあるということだ。つまり演奏というものは他者に対して責任がある。もし、あなたの演奏で「ショパンなんて退屈」とか「リストってなんだか軽薄な感じね」と人が感じてしまうとしたら?

「自分がどう弾けるか」ではなく「コンビニのお兄ちゃんは自分の演奏をどう感じるか」という観点も少しだけ考えてみたらどうだろう?少しだけサークル感覚から抜け出してみる・・・

kaz




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