ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアノで遊ぶ 

 

シフラはロマの血を受け継いでいるらしい。シフラの父親はパリでピアノを弾いていた。ロマの音楽団のピアニストだったようだ。弟1次大戦でフランスから追放され、全財産を失い、強制労働なども課されたらしい。ハンガリーに戻った頃は、父親は一家を支える体力も気力もなかった。そんな時にシフラは生まれた。一家は貧しい生活だった。大黒柱が働けないのだから・・・

女性たちが頑張っていたようだ。特にシフラの姉は子どもの頃から働いていたようで、しかもとても優秀な人だったようだ。たしか食品会社かどこかで働いていたみたいなんだけれど、出世していったようだ。少しだけ経済的な余裕ができたのだろうか、ピアノがシフラの家にやってきたのだ。でも購入することなんかできなかったので、レンタルのピアノ。シフラは幼少の頃は身体がとても弱かったらしく、一家が奏でるピアノの音色をベッドで聴きながら育ったらしい。

想像するに、当時のシフラ家は貧しいながらも音楽に溢れた家庭だったのではないだろうか?ピアノとは「習う」とか「学ぶ」ものではなく、楽しむもの、日常の辛さを忘れさせてくれて癒してくれるもの・・・父親がピアノを弾き、皆で歌い・・・

シフラは、まず父親からピアノの手ほどきを受けたらしいが、シフラ家にはピアノはレンタルのものがあったけれど、楽譜がなかったらしい。当時のダンス音楽やら流行歌の楽譜はあったのかもしれない。父親はロマの楽団のピアニストだったのだから。でも導入用の教則本などはなかったのかもしれない。

「これがド、1の指はこれ、はい、ドレミ・・・」という導入ではなかったと思う。シフラは母親の歌うオペラやオペレッタのアリアを聴いて覚えてしまい、即興的にピアノを弾いていたらしい。遊びピアノ?

シフラが本格的にピアノを習い始めるのは9歳の時。日本流に言えば小学3年生の時だ。おそらくシフラ少年はピアノのレッスンというものが生活の中に組み入れられた時に、「今までのピアノとは別物、即興は遊び。忘れるのだ。これからはドレミの世界、指の訓練に励むのだ」とはならなかったのでは?それまでの心躍る音楽を再現するのがピアノ、これからその音楽の世界に深く入っていけるのだと、そう思ったのではないだろうか?どこか即興で戯れていたピアノの延長、決して「お勉強」として切り離すことはしなかったのでは?

子どもって音楽への反応が凄い。音楽に合わせ身体が動いてしまったり、聴いて覚えたメロディーを歌ってしまったり。うるさいほどだ。「静かにしなさい」と親から注意されるほど音楽に反応してしまう。これは才能ある子・・・ということではなく、多くの普通の(?)子どももそうなのでは?

ピアノ教育現場にこれを生かすことはできないのだろうか?むろん、歌やダンスをレッスンで組み入れてということは、今までも、現在も行われていることと思うが、いざ「本格的に」「個人レッスンを」となると、いきなりそれまでの「音楽」とは別物の「お勉強」になってしまわないだろうか?たしかにお勉強要素が欠けるとピアノは弾けないのだろうし、教則本も進んでいかないだろうが、そして個人レッスンという場でも、歌心の育つような教材研究みたいなことは盛んなのであろうが、でも、それまでの生活、人生(?)の中で身体が動いてしまい、歌を歌ってきた子どもたちが、楽譜、音符を鍵盤に移行する、ただ弾いています、中には非常につまらなそうに無味乾燥に弾く・・・なんていうのは、とても哀しいではないか?

シフラがピアノを始めたのは9歳、でも9歳だったらショパンやラフマニノフを達者に弾きこなす子どもは、今の日本だったらウジャウジャといるのではないだろうか?

でもその達者な子ども(こどな?)の中に、シフラのような豊かな音楽体験をした子どもはどのくらいいるのだろう?

ピアノのレッスンが始まる。そして二極化が始まる。「ピアノの練習なんかつまらな~い」「ピアノなんか辞めるぅ・・・」というグループ。そしてコンクール、コンクールと叱咤激励され、リストやショパンなどの難曲を弾きこなしていく子どな育成・・・この二極化。中間があればいいのに・・・

達者な子どなちゃんたちが大人になった時、シフラのような羽ばたくような即興演奏のできる人、どれくらいいるのだろう?

ところでシフラって、あまり鍵盤を見ないよね。不思議だ。

kaz




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