ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

戸惑いのリスト 

 

リストの曲って派手で軽薄・・・このように思っている人もいるのだろうか?ショパンと比較すれば、どうしても劣る・・・とか、高尚(?)な曲もあるけれど軽薄な曲も多い・・・と思っている人はなんとなく多そうな気はする。

リストに「半音階的大ギャロップ」という曲がある。この曲などは軽薄と軽視の視線で見られるような曲なのかもしれない。サーカスのように技巧を見せびらかす曲?

サーカス的、超絶技巧・・・リストの曲に関連して連想したピアニストがいる。シフラ・・・

シフラはリストを得意としたし、シフラ自身のトランスクリプションなどは、いかにも腕自慢アマチュアが「どんなもんだ!!!」と取り組みそうな曲ではある。楽譜などを見ると「この人はどのような人なのだろう?」という興味を単純に抱いてしまう。もはやシフラ編曲の楽譜は眺めて鑑賞する域なのでは?「なにこれ~」みたいな?

シフラの初来日は1964年。僕などはまだ生まれてもいないので、その頃の日本ピアノ界とか、愛好家の癖(?)などは想像するしかないのだが、現在よりも音楽とか演奏というものを、どこか厳粛に捉えていたのではないだろうか?

練習の前には掲げられたベートーヴェンの肖像画に黙礼をしてから練習を開始する

音楽を聴く時には、正座をし、精神を正して拝聴する

みたいな雰囲気?厳粛に西洋文化を受け止める・・・みたいな?ピアノ教育界でもそのような傾向はあったと思うし、愛好家にもあったのではないだろうか?そのような受け止め方がある程度普通だったとしたら、厳粛で神聖なる西洋音楽として、最も受け入れられやすかったのが、ベートーヴェンだったのかもしれない。苦悩から歓喜へ・・・その精神世界・・・みたいな?

ショパンの音楽であれば、ベートーヴェンと比較すれば軟弱(?)ではあるけれど、どこか「お芸術」の香りがする。リストとなると「ああ、なんなんだ?これは?」

シフラのリスト、特にこの「半音階的大ギャロップ」のような曲の演奏に、当時の日本の聴衆は戸惑った可能性もある。生身の人間の衝動・・・のような興奮を感じさせてしまうから。

「えっ、音楽ってこういうもの?えっ?」のような?「もっと音楽って厳粛なるものだよね?」みたいな?

シフラ初来日での演奏、当時を回想した日本人の文章などを読むと、シフラの演奏(特に後半のリスト)に対して、日本の聴衆はどこか冷めているというか、戸惑っているような感じだったらしい。シフラは、他の国での反応との違いを感じ、「えっ、ここまで弾いてまだ足りないの?」みたいな?会場の空気のようなものはシフラに伝わったのかもしれない。演奏家ってこのようなことに敏感だと思うし。

演奏中、シフラは何度か客席を見ている。凄い余裕だなと思うが、「ねぇ、君たち反応ないけど大丈夫?」みたいな心境でチラチラしていたのかもしれない。

人って自分のそれまでの価値観枠を超えたものに出逢うと、弱い人ほど拒否反応を示すのではあるまいか?「こんなものを認めてしまったら、今までの自分が根底から変わってしまう。それは怖い。だから否定するのだ。認めないのだ。音楽を聴いて性的な興奮にまで近いような感覚を感じてしまうなんて、あってはならない。そんなものは音楽ではない。音楽とは厳粛なるものなのだ。リストは曲芸師だった。軽薄だったのだ・・・」恐怖心とリスト軽視の傾向はどこか関連があるのかもしれない。

kaz




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