ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

もう一つのオリンピック 

 

基本的にテレビ視聴はしないので、あまりオリンピックも観ていない。でも「えっ、もうオリンピックは終わってしまうんだ?」と知り、マラソン競技はテレビで観た。普通は「日の丸日本!」「やったぞ、日本人、メダル○個獲得!」のように盛り上がるべきなのかもしれないが、そのような観点ではなく、リオのマラソンはいいなと思った。普通、マラソンって競技場でのゴールになるのが普通だと思う。でもリオでのマラソンはそうではなかった。ゴールを果たした選手たちが、一か所に、なんとなく集まり、吹き溜まり状態(?)になっていて、後続の選手たちを国籍を超え自然に讃える、讃えあうみたいな雰囲気になっていて、素直に「いいな・・・」と思えた。人種、宗教、思想、そのようなものを超えて、人間として一つの輪になる、観ていて清々しい感じだ。

個人として競う、そのようなものを超え、国が競う・・・みたいな雰囲気は、あまり好きではない。これはオリンピックだけではなく、個人的感情として、「カテゴライズして競い合う」みたいなものが好きではないのだと思う。

人間は皆、同じなのだ。それは肌の色が同じだから、人種が同じだから・・・ということではなく、それらのものが違っていても、人間は同じなのだ・・・という感じ方。別にオリンピックのような場という特別な場ではなくても、人はカテゴライズしてしまうことがあるように思う。無意識だから怖い。ピアノの世界という狭い世界でもそれはあるように思う。プロとアマチュア、音大卒とアマチュア、初心者と上級者・・・のように。個々は異なる。でも同じでしょ?同じピアノを愛する人間でしょ?

「ブラックパワー・サリュート」という言葉がある。かつて堂々と人種差別がまかり通っていた時代、主に北米を中心に生まれた言葉であり、行動だと言えよう。黒人公民運動として、黒人差別に抗議する示威行為とも解釈できる。かつてオリンピックでもそのようなことがあった。1968年のメキシコシティ・オリンピック。この時代は、北米だけではなく、人種差別問題に揺れていた時代だと言える。白人優先主義に対して、黒人たちが暴動という行為によって、自分たちも人間なのだという意思を示したりとか。とにかく世界は揺れていた時代だ。オリンピックという場で、国内の差別問題に抗議する、そしてそれを行動として実際に示す・・・これはブラックパワー・サリュートとしての行為となる。陸上競技の表彰式でそれは起こった。アメリカの黒人選手が金メダルと銅メダルを獲得し、メダル授与、国歌が流れ、国旗が掲揚されるという場面。

金メダルはトミー・スミス選手、銅メダルはジョン・カーロス選手、両選手は国内での差別問題に対して抗議を示すために、シューズではなく黒いソックスを履いた。これは黒人の貧しさを象徴する。黒い手袋を着用し、拳を天に向かって掲げる。黒人の誇りを示す黒いスカーフ、白人至上主義団体からリンチされた人々の魂を祈念するロザリオを身につけて・・・

会場はブーイングの嵐だったという。神聖なるオリンピックという場で政治的な行為をしたということで、二人は非難されることになる。IOCはアメリカ陸上界を永遠に追放する・・・みたいな動きもあったらしい。帰国後も両選手、その家族には脅迫状が届いたりとか、それはそれは大変だったらしい。解放運動の結果、スミス選手、カーロス選手は、ある意味「人権のために戦った英雄」として捉えられるようになった。

ここで銀メダルを獲得した選手に注目してみる。白人の選手だ。ただ表彰台に立っているように見える。スミス選手、カーロス選手のように、派手なパフォーマンスはしていない。ただ立っている・・・

彼はオーストラリアの選手だ。ピーター・ノーマン選手。実は彼の故国も当時は北米のような白人優先主義がまかり通っていた国なのだ。先住民であるアボリジニの親子を引き離し、子どもは白人家庭、寄宿舎で育てさせるなんていう信じられないような政策も1969年まであったらしい。

ゴール直後、二人のアメリカ人選手は、オーストラリア人であるノーマン選手を讃え、さらにこう尋ねたという。「君は素晴らしいアスリートだ。君は人権を信じるか?」「もちろんだ」「君は神の存在を信じるか?」「もちろんだ」

映像だと非常に分かりにくいのだが、表彰台の3人は、あるバッジをつけている。「人権を求めるオリンピックプロジェクト」のバッジだ。北米の人権解放運動に賛同する選手が身につけていたバッジだ。ノーマン選手はこう言ったのだ。「僕もそのバッジを身につけて君たちと一緒に表彰台に立ちたい・・・」と。「君たちの行為への賛同を示したい」と。ノーマン選手はただ立っていたのではなかった。静かにバッジを身につけることで、白人だがブラックパワー・サリュートに賛同を示したのだ。

これがノーマン選手の故国オーストラリアでは問題になった。「白人が劣性人種である黒人の行為に賛同するとは何事か?しかもオリンピックという場で!」

この時のノーマン選手の記録は、いまだにオーストラリア記録なのだそうだ。国内では誰もノーマン選手の記録を超えてはいない。しかし、次の1972年のミュンヘン・オリンピック、素晴らしい成績をノーマン選手はその時までに残していたにも関わらず、オーストラリアはノーマン選手をオリンピックに派遣させなかった。ノーマン選手はオーストラリア陸上界から追放されることになった。ノーマン選手の家族をも含めた差別だったらしい。追放されたノーマン選手は体育教師や肉屋などの職業を転々としていた。

ノーマン選手に国から打診があった。「メキシコでのあの行為は間違えだったと正式に表明したまえ。そうしたら君は復帰できるだろう」と。しかしノーマン選手はその申し出を拒否した。「人間として当たり前のことをしただけなのだから・・・」

ノーマン選手は、アルコールに依存し、そして鬱病を患い、そして2006年に亡くなっている。彼の葬儀では、かつてオリンピックで競ったスミス選手とカーロス選手が彼の棺を担いだのだという。

2012年、オーストラリアは正式にノーマン選手の偉業を認め、そして謝罪している。「ノーマン選手の素晴らしいアスリートとしての記録、成績、これを正式に認める。そして彼の表彰台で行った行為、人権に対しての行為、これに対しても認めるのに非常に時間がかかったことも認める」と。

「ピーターは、たった一人で国と闘っていた」  ジョン・カーロス


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