ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

一曲集中主義 

 

発表会の曲って、いつもの曲(?)と異なり、一曲集中主義となるもののようだ。いつものレッスンでは合格となるレベル(?)を超え、長く、そして深く弾いていく。「ねぇ、発表会まで間に合うの?」「○ちゃん、一応弾けているけど、それでいいのかな?先生は○ちゃんはもっとできると思うのよ?」叱咤激励し、発表会本番に向かっていく。これが通常の姿なのだろう。ちょっとだけ背伸びをさせ、つまりちょっとだけ、いつもの曲よりも高度な曲にチャレンジさせ、実力向上をも狙う。これも通常の姿なのだろう。

僕の先生は、ちょっと(かなり?)そのような意味では変わっているのかもしれない。例えば、本番前一ヶ月とか、そのような時のレッスンって「本番まで一ヶ月だよね?頑張らないと」的なレッスンになるのが普通だと思うのだが、「もうその曲はいいですよ。新しい曲をやりませんか?何かお好きな曲はありますか?」「えっ、本番一ヶ月前に譜読み?」「もう弾けてますよ、いいですよ。あまり頑張っている演奏って聴いていて辛いですよ、もうその曲はいいですよ」

子どもの発表会だけではなく、一曲集中主義って、コンクールや受験という場合に限らず、日本ピアノの世界では人前での演奏、つまり本番前においては通常の姿なのではないかと思う。大人の場合も、たとえば発表会とかサークルでも、わりと一曲集中主義になっているのではないか?そしてそれが当たり前と思っているところもないだろうか?

その曲を長く弾いていくメリットもあると思うが、デメリットもあるだろうと思う。半年以上も前から、ある曲を本番に向けて練習していくことのデメリット・・・

「ミスを恐れず、感情を込めて弾きましょう」直前にそんなことを言われても・・・演奏直後にそんなことを言われても・・・

長く同じ曲を、ある一点(つまり本番)に向けて練習しているわけだ。どうしてもその曲を弾くという意識、音楽をする・・・というよりは、曲を弾きこなすという方向性が強くなっていくのが人情だろう。苦手なパッセージなども時間をかけて練習してきたわけだ。いきなり「さあ、音楽をしなさい」という方向転換は難しいところもないだろうか?本番が近づくにつれ、「あそこは大丈夫かしら?」「ここが心配なの」みたいな心の状態になってしまうこともあるのでは?

例えば、カルロス・グアスタビーノの曲を練習会なり、発表会なりで演奏するとする。グアスタビーノ、日本ではほとんど演奏されないような印象だが、バイエル程度(終了程度ではない)でも演奏可能な曲も多い。ちょっとでも研究している教師ならば、それらの曲は知っているだろう。

「さあ、一週間後の発表会ではグアスタビーノの○○という曲を弾くのだ。暗譜は大丈夫かしら?先生に注意された、あそこの部分は本番でも弾けるかしら?あのパッセージははずすのかなぁ?練習でも命中することは少ないし。そこで動揺して、いつものように崩壊への道に進んでしまうのかしら?いいえ、そんな心配をしているのだったら練習しなきゃ!」

ああ、一曲集中主義・・・それも大切だが、もうちょっとグアスタビーノ周辺を彷徨ってみたらどうだろう?グアスタビーノの○○という曲、それは自分にとっての課題・・・だけではなく、もうちょっと大きな存在として認識できるように。音楽って自分にとって何???

グアスタビーノってピアノ曲と声楽曲が多いんだ。アルゼンチンの作曲家だったのね。アルゼンチンってアルゲリッチもたしかそうよね?でもなんだか情熱的とも感じるけれど、哀しくない?

グアスタビーノって2000年まで生きていた人なの?えっ、現代の人といってもいいんじゃない?それにしては保守的というか、いかにも現代音楽というのとは違う。つまり、「これが現代音楽なのだ」という調性もなく、一回聴いても理解できないような音楽が主流だった頃に、あえて反対の道を進んだ人だったのね。もしかしたら、この人、相当強い人だったのかもしれない。

グアスタビーノって生涯独身だったのね。私生活については、ほとんど分かっていない?寂しく暮らしていたのかしら?ブエノスアイレスに住んでいたのね。えっ、日本のワンルームのような質素なアパートに住んでいたの?ピアノはアップライト?アップライトピアノで作曲していたんだ?小さなアップライトのダンパーに、さらにパッドを装着して音を出なくしていた?そうなんだ。「ピアノの音が近所迷惑になりますからね」えっ、彼はそんなことを言っていたんだ。

本番で弾く曲以外にどんな曲を作っているのだろう?物静かな、控えめな、でも火のように強く熱い人だったのかも?

カルロス・グアスタビーノ、南米アルゼンチンの作曲家。日本ではほとんど演奏されることはない。ただ歌曲「バラと柳」だけは歌手たちから愛唱されてきた、唯一のメジャーな曲と言えよう・・・そうなんだ、歌なんか好きじゃないし、ピアノしか聴かないから知らなかった。ちょっと「バラと柳」という曲、聴いてみようかな・・・

えっ、こんな曲だったんだ。物静かで、控えめで、でも強かった人、私、一週間後にこの人の曲を弾くんだ。間違えたらどうしようとか、無事に弾けるかしら・・・だけではなく、「バラと柳」を聴いた時の心の動き、グアスタビーノに対して抱くもの、そんなものを感じてもいいのかな?いいんじゃない?哀しいような、熱いような、そんなものを感じたのだったら、それを本番でも大切にしてみてもいいんじゃない?

たしかに一曲集中主義って大切かもしれない。頑張ることも大切。でも本当にそれだけでいいのかな?一週間前になったら緊張ばかりしていないで、その曲、作曲家の周辺を彷徨ってみてもいいんじゃないかな?

ガンバリズムとか、出来栄えとか、それは聴き手としてはあまり大切なものでもないのかもしれないのだから・・・

kaz




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