ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

誕生日に寄せて 

 

今日は誕生日。今さら祝うような年齢でもないのだろうが、今この瞬間に感じていることなどを記録してみたくなった。

僕がやりたいのはリサイタルではないのだと思った。リサイタルではなく、やりたいのはサロンコンサート。今までも「リサイタルやればいいのに~」と言われたことはあったけれど、どうも現実のものとして考えられなかった。むろん、それは「大変だろうし」というものからそうだったのだが、演奏者のそれまでの研鑽ぶりを聴き手が静かに、そして厳粛に拝聴する・・・みたいな変な「おクラシック」的な雰囲気そのものが、僕はあまり好きではないのだと分かった。自分が本当に好きではないことには心は動かないよね。ピアノを弾くことは好きなんだけど。拝聴・・・というよりは、「ねっ、この曲・・・いいよね」「そうだね」みたいな雰囲気というのだろうか?そこにいる人、演奏者も聴き手も、一緒に音楽に夢見て共感する・・・みたいな?人数の問題ではないのね。15人でもただ椅子が並んでいて、演奏者がただ黙って黙々と成果を披露するという小リサイタルではないものをやりたかった。当日は聴きに来てくれた人と一緒に演奏で盛り上がりたいというか?変かな???一方通行はイヤなんです。

僕の演奏を知っている人から「kazさんは自分を出す演奏をする」と言われたことがある。それは機械的ではないという意味での褒め言葉と受け取ったけれど、実は自分では「自分を出している」とは思ってはいない。曲に潜んでいる「何か」を伝えたいと、いや、伝えられればいいなと思っている。「感動しました」と言ってくれる人もいるが、それは「僕」にではなく、僕が感じた「何か」に感動してくれているのだと思っている。伝統を守った正統的な演奏、自分の感情を優先させた演奏・・・この分け方はかなり大雑把な分け方なのでは?最近の若手は伝統というものを知らず、我が我が・・・のような演奏をする、個性をはき違えている・・・そうなのだろう。たしかにそのように聴こえる演奏もある。でもそれは伝統を無視しているからと共に、自分が感じた「何か」を表現できていないか、あるいは「何か」を感じていないからではないだろうか?だから表面的なものが上滑りしているように聴こえる。「こうやったら聴き手に衝撃的かも?」とか「こう弾いたら受けるかも?」「こう弾けば点数取れるかな?」みたいな?

伝統って、「バッハ的に」とか「ベートーヴェンはこのように弾くのです」とか「ピアノはこう弾くものです」というものではなく、音楽、そしてそれを具現化する演奏というものが始まった時から、人々が「何か」を探し、感じ、音として表してきた歴史なのではないかと。なので「○○的に」でもなく「自分が自分が」でもないもののように僕は思ってしまう。まぁ、僕の考えなんて、何も学問的な裏付けなんてないから、間違えていると思うけれど。でも「こうあるべき」的な表面的な伝統にせよ、表面的な何もない自分を押しだした演奏にせよ、どちらかに偏ってしまったら、まずは聴き手が退屈するのではないだろうか?「いかにもベートーヴェンでございます」という演奏が伝統を守った正統的な演奏ではないかもしれない。演奏者の心の奥底からのものを聴き手が感じる、これは伝統を無視したということでもないのかもしれない。これは自分が死ぬまで、心のどこかでウジウジと考えていたいことだ。

ピアノ教師って、伝統を未来に伝承していくのが仕事だと僕は思う。なので、習っていても「弾けませ~ん」という生徒が世の中にいるというのは心が痛む。知らない人、知らない子どもでも。「ピアノ・・・あまり好きではないかも・・・」これは不幸なことでもないのかもしれないと思っている。「もしかしたらピアノよりも柔道の方が合っているんじゃない?」みたいなことはいくらでもあるだろうし、幼少の頃から習っていたら、さらにあるだろう。すべての生徒、子どもがピアノ好きなんて考えるのは、ちょっと違うかなと思う。でも好きだったら「弾けない」というのは辛い。子どもも大人も。

ただ音を並べているようにしか弾けない・・・この悩みも、そろそろ日本のピアノ教育界、ピアノを習っている本人、両方だが、ないものにしたい。したい・・・と僕が願っても仕方がないことなのだろうが。感じたのだったら、その感じたものは外に向かって具現化できるようになりたい。ピアノを習っているすべての人が。ピアノが好きだったら、それができないのは辛いことなのだ。指が動かないとか、そんなこととは比較にならないくらいに辛いことだと思う。

世界中に、「ああ、ピアノ好きなんですね?」ということが聴き手に伝わる演奏をする人がいる。そのことがとても僕を幸せな気持ちにしてくれる。

この人の演奏も好きだなぁ・・・

日本人だったら、たとえ私的な録画でも、もうちょっと「人にみられるのだ」「世界中に配信されるのだ」ということを演奏以外でも自覚するのではないだろうか?つまり服装とか。ラフな格好、とても似合っていると思うけど、こんなところが日本人とは違うなぁ・・・と思ったりもする。あとは住環境が違いすぎるよね。この人がこのように弾けるのは、住環境も無関係ではないような???

kaz




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