ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

音だけ譜読みから音世界譜読みへ 

 

もしかしたら我々日本人は抑揚の少ない穏やか(?)な世界で暮らしているのかもしれない。ある外国人が言っていたこと、「初めて東京の街を観光したとき怖かった」と。人々に表情がなく、皆が不機嫌な仮面をつけて歩いているような印象を持ったのだそうだ。「表情のない人たちが大勢ワーッと自分に迫ってくるようで怖かった」

日本人である僕はそうは感じない。自分も無表情で歩いていると思うし、慣れてしまっているから。

譜読みって非常に面倒。書いてある音符を鍵盤に移すだけでも大変。「一応、譜読みしました」という状態の時、その音楽に抑揚はあるだろうか?「えっ、譜読みでしょ?表現はそのあとでしょ?」

それでは遅いのでは?「このように弾きたい」という音世界が最初から存在していて、自分の耳で実際に出ている音と比較しながら譜読みをしていくべきでは?ピアノの場合、譜読み完了=仮面をつけた無表情な人・・・では遅いのでは?あとから表情豊かなイタリア人に変身するのは大変なのだ。最初からイタリア人になって譜読みをする?

基本的にはピアノの曲はヨーロッパからきたもの。ヨーロッパの言葉って日本語と比較すると抑揚がある印象。日本語って全部が四分音符という感じだが、特にイタリア語は抑揚がある印象。もともとアゴーギクが存在していて、音の濃淡も存在している。

抑揚の少ない日本人は譜読み段階から抑揚を意識する必要はあるんじゃないか?再現したい音世界は譜読みの前に存在しているべきでは?なにもない状態で音だけを拾っていくのが譜読みではないのでは?譜読みが終わって、後から表情・・・いかにこれが難しいかということで悩んでいるのでは?

「なんで自分の演奏ってただ音を並べているようにしかならないのだろう?」

これはイタリアのテレビドラマ。刑事物だし、少なくともこの場面はお互いに愛を語り合っている場面ではない。でもなんと表現豊かというか、抑揚を感じる会話なのだろうと思う。

音だけ譜読みをしてしまうと、後から仮面をはずすのは一苦労なのだ。

「音世界なんてありませ~ん。弾けてからそんなことは考えればいいので・・・」それでいいのか?譜読みが一応完了した時点で「ただ弾いている」というのでは、何かを落としてしまっているのでは?

kaz




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category: ピアノ雑感

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コメント

 

楽譜には表現も書いてあるのですよね

仰る通りと思います。「趣味」(?)でされているというkazさんが、こうした疑問を持たれるのに、、(自分の所には書けないけれど、(^_^;))某所の音楽科では、今も、まず、音符を早く弾けるように譜読みして持ってきてから表現を考えると言われるようです。

ピアノを教えるというのは、ここがドで、その隣がレだと教えて、間違えずに鍵盤を打つことを教えることではなく、どうしたら素敵な音楽になるかという方法を伝えることでありたいなと思います。音色を変えるタッチなど技術的なことや、手が痛くならない楽な弾き方も、表現のためにあるという考え方で、奏法も伝えたいなと、思っています。

Megumi #3/2tU3w2 | URL | 2016/08/11 16:25 | edit

Megumiさま

表現と奏法はつながっていますね。表現するために奏法があるわけで・・・

なんとなく最近思うのですが、日本人(ピアニスト含む)のピアノの音って「固い」という印象を持ちます。もちろん、そうではない人もいますが。あまりにも多くの人が固いピアノなので、一般的な(?)聴衆は「ピアノってなんだか大変そう」「クラシックって退屈そう」と思ってしまうのではないかと。

取り組めば取り組むほど、音は固くなり、腕や手が痛くなる、考えなくてもこれは、おかしな話だと思います。

「きちんと弾けてから・・・」という習慣(?)も関係しているのではないかと思ったりします。

kaz #- | URL | 2016/08/11 20:35 | edit

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