ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

エンディングノート 

 

少し前の映画なのだが「エンディングノート」という映画があった。癌になった男性が人生の終末期にやるべきこと、伝えるべきことをエンディングノートとして明確化し、実行していくというもの。この映画の監督は主人公の娘で、ドキュメンタリー映画。なので一層迫ってくるものがある。

生前に遺書を残すとか、この映画のようにエンディングノートで残りの人生のシナリオを描くという発想は、死というものを自覚し受け入れなければできない。「癌かもしれない」「そんなぁ・・・縁起でもないこと言って・・・」と死から逃げていてはできない発想だ。

死とは恐ろしいもの、考えたくないもの・・・でも人は誰でも死ぬ。例外はない。でも考えたくないんだね。なので「なんとなく人生は続いていくもの」なんて思ってしまう。

映画「エンディングノート」を観て、ある日本人女性を想い出した。千葉敦子。この人はジャーナリストで人生の終末期をニューヨークで過ごした。ジャーナリストとして海外の新聞や雑誌に日本の動きを英語で伝える仕事をしていた。乳癌を患い、再発し、残りの人生を自覚した時に、「やりたいことリスト」のトップにいつも登場する「ニューヨークに住みたい」「日本とは異なる文化の中で暮らしてみたい」という心の熱望を実行してしまった。「できればいいな」ではなく、実際に行動したわけだ。

勇気があった・・・と言えばそうだが、では平均的な日本人の場合、千葉敦子のような行動はできるだろうか?希望を持っていてもそれを阻むものは何か?まぁ、金銭的なこととか、家族というか、それまで培ってきたものを捨てるということでもあるので、難しいこともいろいろとあるだろうと思う。でも最大の難関は「英語」なのではないだろうか?

「まぁ、千葉さんのようにインテリで才能がある方は別でしょうけれど・・・」

おそらく、千葉敦子が生前に言われてきた言葉だと想像するが、千葉敦子本人は著書を読む限り、このような考えを嫌っていたようだ。「中学、高校と6年も英語を学んで、自分の専門分野について英語で自由に語ったり書いたりできない、そのことのほうがおかしいのです」と本人も書いている。

まぁ、そうだが・・・

日本人は英語好きだとされている。駅前留学とか?高価な教材も売れたりとか?けれど世界で最も英語ができないのは日本人とも言われている。アメリカで僕も実際に言われたことがある。

千葉敦子は、普通に日本の大学を卒業し、新聞記者を経てフリーのジャーナリストになった。海外経験はハーバード大学留学経験だけ。この留学は社会人になって奨学金で留学している。英語はもともとできたのだ。帰国子女でもない。普通の日本の英語教育を6年間受けただけなのだ。では何故?

「伝えたいことがあるか、ないか」ではないかと思う。英語は手段なので、文法を身につけ単語を覚えても、その人に伝えたいことがなければ、英語は上達しないのではないだろうか?中身がスカスカでは、発音がネイティブ風であっても人には真意は伝わらない。逆に、トツトツと話しているようでも、中身というか、伝えたいというものが存在すれば、人は聞いてくれるものではないか、伝わるものではないか?

これって、ピアノ演奏と同じかもしれない。伝えたいものがあるかどうか?英語そのものは手段なのだ。目的ではない。ピアノ道で苦労しているメカニカルなこととか、それも手段なのではないだろうか?それを身につけることは目的・・・ではない。

伝えたいものがあるか・・・この部分。

話題が脱線したが、これが映画「エンディングノート」・・・観て損はないと思う。

kaz




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