ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

いい人 

 

前記事のワルシャワのナイチンゲールについて、名前を書き忘れた。ボグナ・ソコルスカという人です。

「ショパンを弾こう」と決断したからには、それなりに勉強しなければならない。割と僕は感覚的な人というイメージがあるらしいのだが、勉強というのかな、ショパンを弾くのであれば、ポーランドについても調べなければなどと思う方なのだ。なかなかショパンを弾かないという理由には、その方面の勉強が非常に面倒だということも多分にある。さすがに図書館で手軽そうなショパンの伝記を借りてきて読んでおしまい・・・ではいかんだろうと思う。

昔ポーランド人と暮らした(ルームシェア)という実績(?)があるだけに、ポーランド系ユダヤ人は誇り高いということは知っている。そして非常にいい人であるということも。仙人のような雰囲気で中身は熱い人だということも。

ポーランド人にも、善人と悪人がいるのだろうが、そして、その比率はどの国でも同じなのだと思うが、イメージとしてポーランド人には、いい人が多いような印象を持つ。むろん、これは個人的に知っているHという人物の影響だろうが、でもコルチャック先生のような善人が多いような?ポーランドは歴史的に悲惨な出来事が多いのだ。なので、いい人の行動が目立つのだと思う。平和でノンビリした国(日本?)であれば、町の名士で終わるような行為でも、ポーランドでは人生を賭ける…ぐらいの勇気が必要だったのでは?

コルチャック先生のように、ユダヤ人の孤児、200人を育て、彼らと共に収容所に行くなんていう人もでてくるわけだ。「あなたは恩赦されるのですよ?」「彼らは私の子どもたちです。一緒に行きます」

ゲットーにある孤児院から駅に向かうわけです。その駅には収容所行きの列車が待っている。死の列車である。駅まで行進するんだね。コルチャック先生を先頭にユダヤの旗を掲げて。泣き叫んだり、取り乱したりする子どもは皆無だったそうだ。皆、整然と冷静に行進した。この行進は多くの人に目撃されている。コルチャック先生は子どもたちに誇りと尊厳というものを教えたんじゃないかな?「君たちは素晴らしい。堂々と歩こう・・・」

「どうしてそんな行為ができるのだろう?」「なぜ自分を犠牲にすることができるのだろう?」

ショパンを弾くという目的だけではなく、ポーランドについて調べる必要はあるように思う。僕のポーランドに関する知識など、非常に貧しいものなのだ。

高校生の頃、シェンキェヴィチの「クォ・ヴァディス」は読んだ。たしか、岩波文庫全3巻だったかな?すっかり内容は忘れているが。今はそんなもの読むエネルギーはないだろうと思う。ポーランド史についても、たしかキェニェーヴィチの本があったと思うが、10年以上積んであるだけだ。やはり漫画版「ショパン・・・ピアノの詩人」という伝記を読んで終わるのだろうか?

ポーランド系ユダヤ人、それはHだけではなく、彼の友人たちも非常にいい人たちだった。それは僕が日本人ということもあったのだろうと個人的には思っている。ルームシェアの相手として彼が僕を選んだのは、僕が日本人だったから。逆にHはヨーロッパ人に対して非常に警戒していたところがある。これはポーランド、そしてユダヤの歴史と関係があるものと思う。

「君たち日本人はユダヤ人に偏見を持っていないから・・・」Hはそう僕に言った。

たしかに黒装束でキッパでも被っていれば、「あっ、ユダヤ人ね」とは思うが、思うというか、認識できるだけで、それがどうこうということは日本人の場合は少ないのではないかと思う。ユダヤ迫害の歴史に日本人が絡んだことはあるのだろうか?もっと俗っぽく表現すれば、日本人からしたらユダヤ人も非ユダヤ人も、同じ「白人」として認識する。「あら、スラヴ的な顔立ちが印象的ね」のようなことは感じるが、「ユダヤ人!」とはあまり感じない。例えば、俳優のダスティン・ホフマン、彼はユダヤ人だけれど、多くの日本人は「白人の俳優」と認識するだけなのではないか?ユダヤ感覚に対して僕たちは希薄なのだ。それが彼らユダヤ人には安心感を与えるのではなかろうか?実際にポーランドという国を訪れた時にも、親日感に凄いものがあった。親切にされるのだ。

こんなことを書いていたら、「ポーランド版いい人」について思い出したことがある。Hが昔、話してくれた、レオポルド・ソハという人物の話。ソハという名前が印象的で、そして彼が行った行為が印象的で覚えていたのだ。

ソハはポーランド人。ユダヤ系ではない。ルヴフという街で暮らしていたが、彼はいい人ではなかった。連行されて空き家になったユダヤ人の家から金銭や宝石などを盗み、生活の足しにしていた。彼には下水修理工という仕事はあったのだが、それだけでは家族を養えなかったのだ。いい人というよりは、小悪党である。でも戦時中、誰でも生きるために精一杯だったのではなかろうか?小悪党というよりは、余裕のない小市民であったというべきか?

ソハはルヴフの街の下水道を知りつくしていた。この下水道にユダヤ人たちをかくまうのだ。もちろん有料で。生活のために。小市民だね。でもかくまうということは、自分の身も危険だということだ。見つかれば自分も家族も殺されることになる。

一年以上かくまうのではなかったか?終戦まで。最初は金銭目的だったが、ソハはユダヤ人をかくまうことを使命と感じるようになる。彼は思うのだ。「同じ人間なのにこんなのおかしいじゃないか」と。妻も最初はソハの行為に反対するが、やがてソハに賛同し協力していくようになる。彼らの行動で多くのユダヤ人たちが終戦まで下水道で生活し、命が助かったのだ。ソハは小悪人から、いい人になった。とてもポーランド的な話ではある。Hは自慢げにソハのことを僕に語ったものだ。

そのソハの話が映画になっていたのは今まで知らなかった。しかも主役ソハを演じているのは僕の好きな俳優、ロベルト・ヴィエンツキェヴィチではないか。ワイダ版「ワレサ」でワレサ議長を演じていた人だ。

でもこの映画、冷静には観られないし、観ないんじゃないかな。下水道潜伏中に、ある女性が子どもを生むんだね。隠れる時には妊娠していた。でも生まれた自分の子どもを殺すんですね。泣き声で見つかってしまうから。泣きながら自分の子どもを窒息死させる・・・こんなシーンは観られないと思う。でも実際にあったことなんだよね。

kaz




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