ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

切ない付点 

 

ドヴォルザークの「ユーモレスク」がピアニストのリサイタルで演奏されない理由、それはサロン的な会場から、大ホールというものへリサイタル会場の器(?)が変化したことや、ザッハリヒな演奏なスタイルが主流になったことなどが理由なのではないか?サロン的小品として、発表会レパートリーとしては現代でも生き残っている感じだろうか?

でも「ユーモレスク」は難しい。最初の部分の付点の連続、ここが難所なのではなかろうか?むろん、ただ弾く・・・という意味ではそれほどの難渋さはないとは思うが、ややもすると付点の連続が、どこか「良い子の正しい童謡、唱歌」みたいな趣きに?

この曲は、「長調なので明るく」とか「付点のリズムだから弾むように」とか、そのような固定観念を少しでも演奏者側が持っていると、「良い子の童謡」の世界になってしまうのかもしれない。

切ない付点?

オリジナルのピアノバージョンではフリードマンの「神演奏」の録音が残っているが、あまりピアニストはこの曲を好まないのだろうか?その他の演奏(動画)となると、いきなり子どもの発表会動画とかになってしまう。

ヴァイオリン編曲バージョンでは、多くのヴァイオリニストが愛奏していて、こちらはいい演奏が豊富な感じだ。でも「神演奏」となると、編曲者のクライスラーの演奏ということになるのではないだろうかと個人的には感じる。付点の連続が切ないんだよね。

クライスラー自身はヨーロッパを捨ててアメリカに移った人だ。二度と踏めないヨーロッパの地、なんとなくそのような郷愁すら感じる。あまりにもヴァイオリンの音色が素晴らしく、クライスラーの哀愁に心を奪われてしまうところがあるが、この「ユーモレスク」はピアノも素晴らしくはないだろうか?演奏はクライスラーの多くの録音で共演しているフランツ・ルップというピアニストだ。彼もまたヨーロッパを捨ててきた人なのだ。

ポーランドから逃れてきた友人、Hの言葉をふと想い出したりする。

「僕たちにはどこにも居場所というものがないんだよ・・・」

kaz




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