ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

サロン文化と6畳間文化 

 

日本にはサロン文化というものが根付いていないと言われる。「サロンって何?」

アメリカに住んでいた時には、サロン・・・ではないけれど、パーティー文化みたいなものは根付いていたように感じた。料理を持ち寄り、酒を飲みながら歓談、そして演奏タイムになる・・・みたいな?なんとなく、日本と比較した場合、歴史や文化の違いというよりは、住環境の違いというものが大きいのではないかと思った。6畳間でパーティーは、できなくはないが、難しいだろう。そもそも日本の住居って、バーンとワンルームというよりは、チマチマと部屋を仕切ってしまう3LDK的な住まいが多いような?

6畳間や8畳間ほどのスペースに防音を施し、スタインウェイのグランドピアノを設置する。なんだかバランスが悪いような?そしてそのことに気づかないみたいな?

この住環境というものと、日本独特のピアニズムのようなものは、無関係でもないような気がするが、そのことよりも、独特の6畳間文化なるものは存在しているような気はする。ピアノを演奏する場としては、自宅ということは考えられなくて、発表会とか、外の会場で、非日常性を伴いながら展開してきた日本ピアノ文化・・・のような?

御稽古事としてピアノが定着したのは、やはり昭和40年代、高度経済成長期だと思う。誰でも(?)ピアノ教室に通い、ピアノ教室は大繁盛の時代。募集などしなくても生徒はワンサカと集まるという時代。この時代って、団地にアップライトピアノ・・・という時代ではなかったか?練習の成果・・・というよりは、演奏そのものを披露できる場として、団地の一室に親しい人を招いてサロン的に・・・とはならなかった。発表会で、ドレスを着てという非日常性と西洋文化が庶民にも・・・的な雰囲気を感じつつ、市民会館的な舞台で、大勢と共に演奏するという、独特(当たり前?)のピアノ文化が育まれていった。

最近の傾向としては、再開組を含め大人のピアノが盛んだ。ピアノサークルなんて、かつてのピアノ教室のように繁栄し、募集すら行っていないサークルが多い。でもサークルの練習会や演奏会と、ピアノ教室の発表会で共通しているものがある。自宅でサロン的にというものではない、独特の感覚。それは演奏時間に制限があるということ。一般的には、10分~15分程度という時間制限があるのが普通なのでは?考えてみれば、発表会や練習会で時間制限なしでということが困難なのだ。「リストのソナタを弾きたいな」とか「インヴェンション、15曲通して弾いてみたいな」などという希望はあったとしても、それを実現するのは困難だ。

ショパン人気、たしかにサークルの練習会や発表会でショパンの曲が登場しない時はない。「さすがショパン」なのだとも思うが、ショパンには15分以内で演奏効果の高い曲が多い・・・というのもショパン人気の一因ではないだろうか?発表会文化、6畳間文化から来ている時間制限というものが、ショパンを一層人気者にしている?たしかにそのような意味ではシューマンなどは分が悪いのではなかろうか?

ベートーヴェンの表題ソナタ、「悲愴」とか「月光」なども、全曲聴く機会よりも、一つの楽章を聴く機会の方が多かったりする。時間制限があると、練習会でソナタを全部弾くというのは、曲に制限が出てきてしまうのだ。リピートなしでだったら、モーツァルトは弾けるかも・・・みたいな?長い曲慣れしていないというか?これは独特の6畳間文化からきているものかもしれない。

ソナタや30分ほどの大曲、このような曲は抜粋にしたりするもの、完全な形で聴くのは、プロの演奏会でのこと、みたいな独特のピアノ文化が形成されていく?

非常に興味深い動画をみつけた。映画なのだろうか?テレビドラマ?むろん海外のものなのだが、サロンの雰囲気を表しているようにも思う。

kaz

追記・・・僕のリサイタルの残席は、現在8席となっております。




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