ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

心は死なない 

 

聴き手として生まれて初めてリサイタルというものを体験したのが小学3年生の時。ある医大生が沢山の音楽や偉大な演奏をレコードで紹介してくれていた時期だ。初めてのリサイタル、フランコ・コレッリのリサイタル。当時の僕は「教室のピアノの音」と「本当のピアノの音」というものの違いは感じていたと思う。医大生も僕がピアノを習っているということで、ピアノ曲を中心に聴かせてくれたと記憶している。フリードマン、ローゼンタール、ホフマン、パデレフスキ・・・

でも彼は実はオペラ狂だった。オペラも少しだけ聴かせてもらっただろうか?身振り手振りを交えた彼の説明つきでオペラの全曲盤なども聴いていた。とても面白かったな。彼は「こうもり」とか「イル・トロヴァトーレ」「ラ・ボエーム」など、どこかキャッチ―な入門用オペラを選んでいたようだが・・・

コレッリが来日する・・・医大生にとっては絶対に聴きたいリサイタルであっただろうと思う。チケットはプレゼントしてくれたと記憶している。1973年のことだ。当時は街にイトーヨーカドーなどが開店し、人々が行列するとか、天地真理の「恋する夏の日」が大ヒットしていたりとか、そんな時代だった。コレッリのリサイタル、まだできたばかりのNHKホールで行われたと思う。

もっと予習しておけばよかったな・・・当時も思ったし、今でも思う。いきなりコレッリの生演奏は小学生の僕にとっては、猫に小判、豚に真珠であっただろうと思う。むろん、何か凄いことが行われているということは感じることができたが、テノールのアリアなど、もっと知っていればよかった。偉大な歌手に関しても、もっと聴いておけばよかった・・・

でも感じたことはある。それは何かが伝わってくる・・・ということ。音楽だから伝わってくるのは当たり前なのだろうが、はっきりと目には見えないが、「気」「パワー」「心」が伝わってくる。会場の聴衆に伝染していく。

そのコレッリから伝わってきたエネルギーが、聴いている人の何かを包んでしまうような?それは人が心の中に抱え込んでいるような何か。それを包んでしまう。タッチしてきてしまう。

聴衆は熱狂していた。それは演奏の見事さだけにではないような気が子ども心にもした。なんだろう?「ありがとう・・・」みたいな?コレッリ自身が歌、音楽に「ありがとう」と。そしてそれが伝わり、聴き手も「ありがとう・・・」と。

不思議な感覚だった。一人の人間の声、歌がここまで人というものを動かすとは・・・

コレッリのリサイタルから40年以上経過した。僕にも少しだけ分かる。なぜなら、心の中に抱え込んでいるものがあるから。誰でも蝶よ、花よ・・・だけで生きているわけではないから。そこに入り込んでくる・・・なので「ありがとう・・・」と。

フランコ・コレッリはイタリアのアンコーナに生まれた。小さな港町だ。彼の父親は造船所で働いていたらしい。彼の父親だけではなく、アンコーナの男たちは海の男として生きるのが普通だった。コレッリも父親同様、海、船舶という世界に生きるものと思っていた。実際に、コレッリは船舶会社で働いていた。

歌は好きだったのだろう。多くの他の偉大な歌手と同様に。彼が声楽を志すのは25歳を過ぎてから。ピアノだったら考えられないが、声楽家としても遅いスタートだと思う。「オペラ歌手なんて、才能ある人だけがなれるものと思っていた。でもレッスンを受けて、訓練をすることで、何かが実際に変化していくということを実感することができた。才能ある特殊な人だけではなく、訓練して勉強すれば変わっていくのだと・・・」

週に3回、地元の音楽院に通うことになる。完全に自分の楽しみのために・・・

やはりコレッリは才能があったのだろう。でもスター街道まっしぐら・・・にはならなかった。むろん、素晴らしい才能はあっただろうと思うが、駆け出しの頃は多くの苦渋を味わっている。

「変な声だ」「専門的な教育を受けたわけではないんだろう?素人じゃないか?」「オペラ歌手?そんな声じゃ無理無理・・・」

たしかにコレッリの声って独特かもしれないね。

その頃、コレッリを導いていた人はフランチェスコ・シチリアーニという人。コレッリはこう思っていたそうだ。「デル・モナコは完璧だ。歌唱も声も理想的だ。彼は15歳の頃から歌手を目指し教育を受けてきた。俺とは違う。俺はデル・モナコのようにはなれない」

シチリアーニはこう言った。「たしかにデル・モナコは完璧だ。でも君には彼にはない何かがあるだろう?」このシチリアーニの言葉がなければ、もしかしたらコレッリは船舶会社の社員という人生をそのまま歩んでいたかもしれないね。

コレッリはアメリカの批評家のカルーソーについて語った言葉を思い出した。「美しい声だ。だがカルーソーの心はカルーソーの声よりも大きく美しい」

「心?自分にもあるかもしれない。伝えられるかもしれない。正しい方法を知れば・・・」

僕が聴いたコレッリ、1973年のコレッリ、映像として残っている。この動画はこのブログでこれまでにも紹介しているが、何度でもいいと思う。たしかに聴衆に伝わっている。聴衆もそれをコレッリに伝えようとしている。NHKホールが「ありがとう」で包まれている。

「美しいメロディーはどんどん消えているね。でもオペラは絶対に死なないんだ。なぜならオペラはあまりにも美しすぎるから」  フランコ・コレッリ

kaz

追記・・・僕のリサイタルの残席は、あと11席となっております。





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