ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

素敵なフランコ先生 3 

 

悩める生徒からも、たまにメールがきたりする。多いのが「先生が教えてくれない」というもの。実際には教えてくれないということではなく、専門的と趣味とに分別(?)されるというか?

「趣味です」「では楽しくレッスンしましょう」「いえ、上手くなりたいんです」「えっ、じゃあ、専門的にということ?音大受験を考えているの?」「いえ、そういうわけでは・・・」「では趣味のピアノなんだから、まずはピアノを楽しめばいいのでは?ポップスとかは?」「いえ、そうではなくて・・・」

カテゴライズしてしまえば、そりゃあ趣味ということになる。でも上手くなりたい・・・

ビシバシと専門的に・・・ではない。でも楽しく、ワッ!キャッ!というピアノでもない。上手くなりたい。自分が素敵だと感じたような演奏を自分も目指したい、それが自分にとってはピアノを習うということなんだけど・・・

つまり先生が教えてくれないということではなく、今一歩レッスンで踏み込んでくれない。そのようなレッスンを希望すると、「音大?」とか言われる。音大なんか行きたくはない。でも上手くなりたいの・・・

次に多い悩みメールは、「あの時きちんと取り組んでいればよかった」という後悔メール。過去にピアノを習っていた時には、美しく弾くとか、自分の受けた感動を伝えられるような演奏なんて、それこそ専門コースの生徒だけのことだと思っていた。まぁ、自分も一応それなりに音符を音にはしてきて、教材も進んだけれど、人の心を動かすような演奏なんて、一部のエリートさんだけの世界、自分なんかとてもとても・・・と思っていた。趣味なんだからこんなもの・・・と。でも大人になってピアノの魅力を再認識し、再開して、自分の思うように弾けない。それは指が動かないとか、そのようなことではなく、自分の思い描くサウンドと、自分の技量とに開きがあるのを感じてしまう。むろん、そこは頑張りたいけれど、やはり思う。「あの時、きちんと自分なりに追及しておけばよかった。ブルグミュラーなどを弾いていた頃、何故自分は美しく弾けないのだろうということを追っていればよかった」と・・・

美しく弾く、自分が受けた感動の世界を、自分で音として追体験してみたい、そして自分で生み出してみたい・・・

この欲求は、専門コースの生徒だけのものなのだろうか?趣味だから楽しく?楽しくって何?ワッ、キャッ・・・ということ?ピアノを習うということって娯楽?

「ああ、このように弾きたい」という欲求は誰でも持っているものではないだろうか?ブルグミュラーやギロックあたりまできて、そこで悩むということは、生徒にとってとても辛いことのように思う。いつになったら表現できるようになるのだろう?どこまで進めば表現を教えてくれるのだろう?これは辛い・・・とても辛い・・・

kaz




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