ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

素敵なフランコ先生 2 

 

介護の現場は人材不足だという。スタッフが辞めてしまう。何故か?一般的な認識としては、薄給であること、そして仕事としてキツイということ。それはそうだと思うのだが、収入が目的であれば最初から介護などやらないのでは?給料の額は明示されて、理解して新人として入職するわけだし。キツイ?たしかに和やかに高齢者と日向ぼっこをするだけではないけれど、それも理解して入職するのでは?では何故辞めてしまう?

「自分が今やっていることが将来にどのようにつながっていくのだろう?」ここが見えなくなると辞めてしまうのでは?「何のために?」という思い・・・

どこかピアノと似ている。楽譜が読めなくてはピアノは弾けないし、指が動かなくてはピアノは弾けない。つまり基礎は大事なわけだ。でも辞めてしまう。これから芸術の花園の世界なのにという直前で辞めてしまう。教材の世界というものは、花園に行き着くための経過地点のような気がする。ピアノを習うのは、目の前のバスティンなどの教材が弾けるようになるためではない。むろん、そこで止まってしまえば、挫折してしまうのであろうから、いかに教材世界をクリアしていくかということは大切なことだとは思う。教材研究セミナーが、やはり繁栄する理由はあるのだ。でも目的はバスティンを生き生きと弾きこなすこと?目を輝かせてバスティンを弾くことが目的?つまり生徒が興味を持って教材に取り組むことがレッスンの目的?導入ってそういうこと?

「今やっていることが将来どのようにつながっていくのだろう?」ここが見えないとピアノだって苦しい。生徒は現在弾いている曲に丸がつけば満足というわけではないのでは?

ピアノ教室周辺の音・・・というのだろうか、教師のピアノの音、中級や上級のお姉さん、お兄さん生徒の音、子どもは早い段階からその音をキャッチして無意識にインプットしてしまうのでは?その教室の音が左右するのでは?その教室の音がピアノの音と認識してしまうのだとしたら?

「頑張れば、あのお姉さんのようにソナタが弾けるのね・・・」その時、そのお姉さんのソナタに対して「わぁ、素敵だわ」と思えるか、思えないか。教師がちょっと弾くワンフレーズ、その時に子どもは、それがピアノの音としてインプットしてしまう。「わぁ、先生のピアノの音ってなんて素敵なの・・・」と子どもが思えるかどうか・・・

教師が弾くという意味はそこにあるのではないかと思う。教師自身の音で生徒に「素敵ね」と感じさせることができないと、将来の花園の魅力で生徒を引っ張っていくことは難しいのではないか?

子どもは「教室の音」を「ピアノの音」とまずは解釈するとしたら、それが魅力的だと感じなければ、ピアノを続ける意味を感じないのではないだろうか?

kaz




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