ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

針の穴 

 

舞台で演奏中、突然自分の音が遠くに行ってしまったら?耳に水が入ってしまった時とか、急激に高度が変わった時とか、あの感じが演奏中に起きてしまったら?人の演奏を聴いている途中だったら、もしかしたら冷静に遠くの音で音楽を楽しめるかもしれないが、自分の演奏中だったら?

この場合、心理的に圧迫される。パニックになるんだね。何故なら暗譜に支障が出てくるから。舞台上では記憶を辿って弾いているだけではないのかもしれないが、指の感覚なども記憶と関係があるのかもしれないが、自分の音が聴こえなくなると、これは厳しいものがある。身体が急激に熱くなり、つまり焦ってしまうわけだ。

そのような状態に初めてなった時に弾いていたのが、明後日演奏するラフマニノフの「ヴォカリーズ」で、この曲には因縁があるような?自分を苛めるのが好きなんだろうか?

その後も聴こえなくなるということは頻繁に起こり、「もう人前での演奏、ピアノライフに人前での演奏を組み入れるのはやめようか」と本気で思った。誰だって舞台上で立ち往生はしたくはない。

「やめちゃえよ?」そのような声が何度も自分の中に聴こえてくる・・・

暗譜をしなければいいのでは?サークルの練習会なども、楽譜を置いて、パニックになっても支障のない曲、小さ目の曲などを、それなりに弾いていけばいいのでは?ピアノライフを変更してしまうよりはいいのでは?弾かない・・・と決めてしまうよりは。

バッハの小曲、トランスクリプションやインヴェンションなどを楽譜を置いて練習会で弾いていた時、「これだけじゃイヤだ」と強く思った。むろん、好きな曲しか弾かないので、そのような意味ではいいのだが、暗譜で、かつて弾いていた曲も演奏したいと強く思ったのだ。

リスクは?苦しんじゃないの?自分に問うと、確かにそうだ。でも・・・

たとえ、舞台上で立ち往生してしまっても、空白時間があっても、もしかしたら、そうならなかった箇所で「いいな」と感じてくれる人がいるかもしれない。自分でも、その針の穴のような部分で聴き手と何かを共有できるかもしれない。

「~なったらどうしよう?」この場合、どうしようもないのだ。でも弾きたいという欲求は消せない。そのような意味で、自分にとって最も「弾きたくない曲」だけれど、「大好きな曲」を明後日、あえて演奏してみたいと思ったのだ。「ヴォカリーズ」は因縁の曲なんだよね。聴こえなくなった瞬間、あのなんともいえない感じと「ヴォカリーズ」は僕にとっては密接な関係なのだ。

今の僕にとっては最も怖い曲、弾きたくはない曲・・・

レオン・フライシャーは長年、左手のピアニストとして知られてきた。かつては両手のピアニストとして活躍していただけに、ジストニアによって右手が使えなくなるということは、相当辛かっただろうと思う。弾くのをやめてしまったわけではない。そのような選択はしなかった。残された左手で表現した。何十年も・・・

両手のピアニストとして復活した時に、フライシャーはバッハのこの曲を選択した。淡々と演奏している様子だが、非常に素晴らしい。フライシャーなので、どこかその素晴らしさを当たり前のこととして聴いてしまうけれど、この曲、声部の弾き分け、音色の多彩さを右手で弾き分ける必要がある曲なので、右手にとって、かなり酷な曲なのではないだろうかとも思う。

フライシャーは、この曲が好きなのだろう。だから弾いている。でも自分の右手に、あえて課題を与えているような印象さえ持つ。だからこの曲・・・

針の穴は小さいけれど存在するのではないだろうか?

kaz




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