ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

チェルニーの花園 

 

チェルニーが好きとか、曲よりチェルニーの練習曲をレッスンの課題に出されるのが快感だったという人は少ない印象だ。子どもだけではなく、大人の再開組の人たちも、チェルニーに対しては、あまりいい印象を持ってはいない様子?

セットになっていて、延々と弾き続けなければならない感覚がネックだろうか?40番のまだ3番なんです・・・という場合、「これをあと37曲も?」という思いがつきまとう。30番練習曲と格闘中の人の場合、なんとか30番練習曲はクリアできたとしても、「えっ、40番、50番もあるんでしょ?あと90曲も?」みたいな?まぁ、抜粋すればマシなのかもしれないが。

チェルニーだけではなく、バッハなどもこの傾向があるのでは?「これをあと○曲も?」みたいな?チェルニーって延々と続くような感覚がある(というか実際に続く?)ので、どこか息切れしてしまうのではないだろうか?曲も長くなるし、ハノンなどと違って譜読みだけでも辛いし。頭では「やったほうがいいのよね?」とは分かっていても、非常に辛くなる。

チェルニーだけに限らずだが、途中で息切れしてしまう理由としては、「なぜにこんなに苦労してまで弾かなければならないの?」という疑問に誰も答えてあげないからではないだろうか?「大切なんですよ~」だけでは納得できないものがある。というか、大切なんですね~ということは頭では分かっているのだから。

到達点というか、目的というか、到達したら、こんなに素晴らしい花園があるんです・・・というところを示してあげていない?チェルニーの到達点、花園って何だろう?それは「音型美」なのではないだろうか?スケールとかアルペジオとか、散々チェルニーで苦労させられているような基礎美というか?考えてみれば、曲というものは、音型美で成り立っているようなところはないだろうか?

「あら、スケールって美しいのね?」「アルペジオの連続って快感だわ!」

スティーヴン・ハフがチェルニーを弾いている。むろん、練習曲を弾いているわけではないが、チェルニーの変奏曲を弾いている。たしかに感動に咽び泣く・・・という曲ではないが、スティーヴン・ハフの演奏によって、チェルニーの音型美が強調されているような気がしてくる。聴いていて快感だ。

ここが花園だったのね。

kaz




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category: ピアノ雑感

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