ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

抑揚と濃淡 

 

どうしても本番近くになると、細部を正確にミスなく・・・ということばかりを重点的に練習してしまう。むろん雑な演奏は人を惹きつけはしないから、練習そのものは必要だと思う。でも「正しい瞬間に正しい鍵盤をスコンと打つ」ということを目指すことが練習になっていないだろうか?

こうなった場合、単位として細かすぎる演奏になってしまう恐れがある。小さな、その場の正確さだけが関心事になってしまうと、聴き手との距離感が出てきてしまう。聴き手は音楽を、もっと大きな単位で聴いているからだ。その場の一生懸命さを積み重ねたような演奏を、聴き手は「抑揚がない」とか「ただ弾いているだけ」のように感じる。

一生懸命に練習しているわけだ。隙間時間を見つけてね。なのに努力すればするほど「下手に聴こえる」という方向に知らず知らずに進んでいるのだとしたら、これは哀しいし空しい。

その場だけをミスなく・・・というスタンスで曲を弾いてしまうと、大きな流れに欠けてしまう。「いいな・・・」と感じさせる要素みたいなものを、もうちょっとだけ自覚してもいいのかもしれない。何が「いいな・・・」と思わせるのか、聴き手は何を聴きたいのか?

自然なテンポ感覚?抑揚というか?音楽の流れは頂点、山に向かって進んでいくようなところがある。「アチェレランドなんて書いてませんけど~?」そうなのだが、書いていなくてもそうなるべき決まり事?その場の正確さではなく、抑揚を感じてみては?どこに向かっているの、収まるところはどこ、抑揚の最高潮の箇所は?そこにどう向かっていくか・・・のような?抑揚って海原の波・・・みたいなもの?寄せては返す・・・

あとは音の濃淡。強弱とは似ているけど、ちょっと違うかもしれない。微妙に薄くその音に入ったり、膨らませたい箇所でどうするか・・・とか?ピアノは打鍵後は音は単音では膨らまないけれど、ではどうするのか・・・とか?

抑揚と濃淡を上手く駆使して、大きな流れと細部の入念なニュアンスで曲を弾いてみる。ミスタッチがどうたら・・・ではなく。

抑揚と濃淡に欠ける演奏にはもう一つの特色がある、それは「印刷された楽譜を再現しているのですね~?」という印象を与えてしまうということ。「フォルテと書いてあるから、そのように弾いていますっ」のような?楽譜にフォルテと印刷されてあったら、「フォルテで弾く」ではなく、「フォルテの効果、山場という効果を感じさせなさい」ということだったら?つまり聴き手のテンションを奪うような効果であれば、ピアニシモがフォルテの効果である場合だってあるのでは?バーブラの歌唱にはそのような箇所が多いように思う。「普通だったら声を張るよね」というところで薄くする。ごく自然に。そこで「えっ?」とテンションを奪われてしまう・・・

ちょっと大胆な(?)発想をしてみようと思う。ポップスとかジャズとか、つまりクラシック以外の卓越した偉大な歌手と、クラシックのピアニストとの共通点を探ってみるというもの。抑揚と濃淡を中心にね。まずはシュナーベルのベートーヴェンとバーブラの歌唱との共通点。というか、素晴らしい演奏、歌唱に共通している「何か」、抑揚と濃淡・・・

「まっ、シュナーベルとポップス歌手とを比べるなんて!」と僕は当然感じないが、そう感じる人もいるのだろうか?少なくとも共通点などない・・・と?

ミシェル・ルグランの歌(歌曲と呼びたい)とバーブラは相性がいいようだ。バーブラはミシェル・ルグランとアルバムを制作しているし、初監督作品である映画「イエントル」も彼が音楽を担当しているし・・・

この魅惑的な曲は、実は長い間お蔵入りになっていた曲だ。ミシェル・ルグランと製作していたアルバムに収録されていたものだが、なぜかアルバムは発売されなかった。でもいい曲だよね。曲もだが、バーブラの歌唱が素晴らしい。

濃淡と抑揚?ずらしと抜きの効果?大きな流れと細かなニュアンスとの共存?これって偉大なピアニストも持っている特色なのでは?

kaz




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category: ピアノ雑感

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