ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

耳ではなく感性で聴くということ 

 

友人のルカは色覚異常。モノクロの世界しか見えないということではないが、ある色しか識別できないのだそうだ。日常生活においては、不都合なく暮らしていけるらしい。ただ、地図が見にくいとか、信号機の色が判別できなかったりするらしい。信号などは位置で覚えてしまうらしい。

このことを知った時、無意識に彼を傷つけてしまったこともあったのでは・・・と思った。多分、あったと思う。「わあ。なんて綺麗な景色なんだろう!」この時、ルカは傷ついたのでは?

「そんなこと気にしないよ」

ルカはファッション関係の仕事をしている。色覚異常ということで、何か不都合はないのだろうか?

「ゴッホも色覚異常だったとされているんだよ、見える、見えないではなく、どれだけ感じとれるか・・・なんだよ」

このルカの反応、気にしないよ的な反応には驚くが、それは色覚異常の人の割合って思ったよりも多いという事実も関係しているのではないかと思う。自分から「色覚異常なんです」なんて言う人も少ないだろうし、言う必要もないので、知られていないだけなのだと思う。圧倒的に男性が多い。日本人男性の場合は、割合として20人に1人、欧米人の場合は10人に1人が色覚異常。女性は日本人の場合は200人に1人・・・という割合。

割と最近のことなのかもしれないが、特殊なメガネ(サングラスみたいな)を着用すると、色覚異常の人も、すべての色が識別できるようになったらしい。「初めての色彩」的な動画も沢山ある。ルカも持っているのだそうだが、結構高価なものらしい。

ちょっと調べてみると、ルカのように「別に不都合なく暮らしてきました」という人も意外と多い。でも、そのことで辛い思いをしてきた人もいる。昔、たしか色覚検査なるものがあったと記憶している。石原検査と呼ばれるもので、色の丸の中に、異なる色で数字が書いてあるというもの。色覚異常の場合は、その数字が判読できないらしい。

「このクラスでは○君と○君が色覚異常です」とクラス担任からクラスメイトの前で言われ、傷ついたりとか、母親が泣きながら「そんなふうに生んでしまってごめんね」と泣きながら謝った辛い記憶とか、そのような経験を持つ人もいる。

ルカによると、虹は七色ではなく二色。真っ赤に紅葉した景色も緑色にしか見えない・・・

特殊なメガネを装着して世界を見た時、ルカは非常に感激したそうだ。「世界ってこんなだったんだ・・・こんなに色彩に溢れていたんだ」と。ミラノの街中で座り込んで泣いてしまったらしい。しかしながら、ルカは「どれだけ見える・・・ではないんだ。感じとれるか・・・」つまり想像力と感性で色彩を補うことの重要性を大事にしていると言う。その感性が今の自分の仕事を支えていると・・・

ルカは「ヴェルサーチ」という店で働いている。僕でも知っている有名店だ。デザイナーとかファッション誌の編集者とか、意外と色覚異常の人もいるらしい。欧米人男性の場合、1割は色覚異常なので、それも不思議ではない。おそらく画家やカメラマンなどの職業、「見る」ということが最も必要な職業の人にも多いのではないか?

単純に見える、見えないということではないということだ。色彩に関しては、色覚異常の人は、ある種の制限を受ける。だからこそ、感性で補い、その感性が磨かれていくのではないか?

僕が「素敵な風景だね」と言いながらも、写真と同じだね的に感じていた風景を、ルカは感性で見ていたのだと思う。ルカが初めてミラノの街の色彩をメガネ装着で感じた時の感動は、僕は味わうことができない。

感性で補う・・・

これは音に関しても同じなのではないかと。つまり聞える・・・ではなく聴こえる・・・ということ。感性で補えば、感性を働かせれば、感性を磨けば「あら、いい曲ね」とか「上手ね」だけではなく、そう感じさせている、ある要素のようなものも聴こえてくるのではないか・・・

聴き手のテンションを奪うような、ある種の「何か」みたいなものを、感性で聴きとれた時、それはこの動画の色覚異常の兄弟のような反応があるのではないかと僕は想像する。

音を聞く・・・ではないんだ。感性で音を聴くんだ。

kaz




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