ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

自意識と曲との関わりあい 

 

本番での出来栄え、この場合は他者の評価や感想というよりは、自分での評価。「ああ・・・やっちゃったぁ・・・」「初心者みたいで恥ずかしい」「なんでいつもミスしてしまうんだろう?」大概は厳しいものになるのでは?「フフ・・・私って天才なのかしら?」なんて本番直後に思える人は、そうはいないだろうと思う。

自分に厳しいのは麗しい感じだが、自分が聴き手の立場になった時、他人の出来栄えとか腕前とか、そのあたりが最大の関心事だろうか?「この人はどれくらいのレベルなのかしら?」とか「ミスを数えてやろう」とか、そんなふうに聴いている人も、そうはいないだろうと思う。

自意識は必要だが「自意識過剰」になってしまうのはどんなものだろう?過剰に「~と思われる」と感じてしまう。「今日の装い、変だったかしら?若作りとか思われないかしら?」実際には人は他人の服装なんかあまり気にしていないものだ。「私って~と思われてるのかしら?」実際には他人は、あなたのことなんか、あまり気にしていない。皆、そんなにヒマ人ではないしね。

同じように、弾いている本人ほど他人(聴き手)はミスだのレベルだの上級者だの初級者だのと気にしていないものでは?

何を聴いているのだろう?聴き手は何を望んでいるのだろう?聴き手は存在している。プロの演奏家だろうと、アマチュアの小さな練習会だろうと。聴き手にプロもアマチュアもないのでは?いいな・・・と感じる要素は同じなのでは?

僕の場合は、演奏者と曲との関わりあいを感じると、その人の演奏を「いいな」と感じるみたいだ。到達度とかミスがどうたらとか、弾いている曲が難曲とか、そんなことではなく。多くの人がそうなのではないかと想像する。

「なんでその曲を弾いているのだろう?」それがよく伝わってこない演奏はちょっと残念だ。なぜにその曲をその人が弾いているかという「関わりあい」を感じたい。スッキリと感じたい。「ああ、だからその曲を今弾いているのですね?」「ああ、本当に好きなんですね?」「ああ、そこのところを伝えたかったのですね?」みたいな?

ミスとか表面上の出来栄えと「関わりあい」は残念ながら比例しないような?つまりミスのない演奏が聴き手のテンションを奪うというものでもないのでは?

この人よりも達者で流麗なプロのギタリストは世界には大勢いるのかもしれない。この人が演奏している曲よりも難易度の高い曲は沢山あるに違いない。でも僕はこの演奏に、演奏者と曲との関わりあいを感じる。

「ああ、だからこの曲を演奏しているのですね?」という・・・

kaz




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