ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

「人生は過ぎ行く」 

 

来月17日に札幌のポルトホールというところで演奏します。「愛の夢チャリティーコンサート」という演奏会で、リンクしてある「愛の夢のつづき」というブログに詳しく情報が記載されています。

とは言っても、告知はともかく、聴きに来てくれる人をお誘いするのは東京在住の僕にとっては難しい。東京での演奏会だって難しいのだから、まぁ、当然だろう。一人だけ僕の演奏をまた聴きたいという人がいて、東京からわざわざ札幌まで来てくれるそうだ。有難いことだ。

友人に帯広出身の人がいて、その人が帯広や札幌在住の知人に告知はしてくれている。問題点は、その人たちが僕のことを知らないということ、また、「演奏する人たちって上手いの?」という質問に、告知してくれる彼も答えられないということだ。「さぁ・・・」

最も困難な点は、やはり「クラシック?う~ん、ちょっと勘弁して欲しいな」という反応が多いらしいということ。皆さん、そんなにクラシック音楽が苦手なのか???

今回だけではなく、なんとなく感じるのが、音楽そのものが苦手ということではなく、実際に聴いても楽しくなかったという経験を持つ人が多いらしいということ。

「弾いている人を見ていると(聴いていると?)こっちもなんだか辛くなる。大変そうなんだもん・・・」このような意見が実に多い。これはクラシック音楽そのものではなく、演奏している側の責任が大きいのではないかと思われる。演奏する側としては、そりゃあ長い間練習を積むわけだし、舞台経験だって豊富というわけではないし、自分の本番での出来栄えだけが関心事にもなってしまうだろう。

「弾けました・・・」「一応無難に・・・」「全然ダメでした・・・」「崩壊してしまい落ち込んでいます・・・」

こうなるのも当然のような気もするが、これって全部自分のことだよね?聴いていた人は?どう感じてもらえたかという視点は?

「そんなことはプロの人が考えること。アマチュアがそんなこと考えるなんて傲慢・・・」でも・・・聴いていた人は?アマチュアだろうが、プロだろうが、さらに腕前のようなものがどうだろうが、演奏者がいて聴き手がいて、空間と音があって、そこに何らかの関わり合いが生じる・・・という構図は同じなのでは?人生の一コマをその瞬間にあてる・・・という意味でも。

もう10年以上昔のことになるが、知人に誘われて(強引に?)あるシャンソンの夕べ・・・なるものを聴いた(聴かされた?)ことがある。先生なのだろうか、中心になって歌う人がいて、その先生のお弟子さんたちなのだろうか、彼らも数曲歌うというものだった。ホールではなくライブハウス的なところでのパフォーマンスだった。こちらも身を固くして「聴かせて頂きますっ」的な聴き方を強要される雰囲気は薄かったというのもあろう。トークも満載だったしね。

客観的に判断すれば、先生的存在の人はともかく、お弟子さんたちのシャンソンは出来栄え、腕前としては「?マーク」のつく歌唱もあったと思う。我々アマチュアのピアノの会とそのあたりは同じだ。そもそもシャンソンというフランス語という言語と密接な関係にあるものを日本語で歌ってしまうなんて・・・という反応もこちらにはあったりして・・・

でも正直なところ、とても楽しめたのだ。ピアノの会と異なるところは何だろう?それはパフォーマーが入魂していたというか、顔の表情や演技的なるものまでを含めて歌っていたことだ。ややもすると、そういった要素は「まずは歌えるようになってから」とクラシックのアマチュア世界ではなりがちなのではないかと思う。でも彼らの舞台は、それらの要素が「聴き手に対してやらなければならない最低限のこと」というものになっているのを感じさせた。涙を誘うような歌詞内容の曲を歌っているのに、直立不動で硬直したような仏頂面で歌っては決してならない・・・のような?

ピアノ、クラシック音楽の場合、特にアマチュアの場合は、「自分都合」の部分を惜しげもなく披露してしまうことにあまり躊躇するところがなかったりする。「一生懸命演奏しているので」「沢山練習してきたのです。失敗が怖いのです」みたいな?その部分を舞台上で、あるいは演奏後記などで披露してしまうことに抵抗がないというか、それがアマチュアらしい・・・みたいな?

「クラシックなんです。演奏って大変なんです。本番って大変なんです」そして「まだまだでしたぁ・・・」ということを強調するのは、少なくとも聴いてくれた人に対しては謙虚さの表れというよりは、「傲慢」の現れなのかもしれない。クラシックだからそれでいい・・・みたいな?

「まだまだなんですぅ・・・」的なことを表明してしまうのは謙虚さなのだろうが、もしかしたらそれで通ってしまうというのは、聴き手に対しては傲慢さの表れだったりして・・・

さて、日本語シャンソンなるものを想い出したところで、ある歌手のことを連想した。越路吹雪・・・

恥ずかしながら、僕は彼女の歌唱を聴いたことがなかった。叔母が越路吹雪のファンだった記憶がある。「こーちゃ~ん!!!」みたいな感じだったかな?でも生意気盛りの少年だった僕は、そんな叔母を斜めに見ていたように思う。「日本語のシャンソン?そもそも越路吹雪ってフランス語話せるの?そりゃあ、洋楽創成期の日本では偉大だったかもしれない。でも冷静に聴いたりしたら、聴けたものではないのかも?」そう、叔母の音楽感性に対して、どこか俗っぽいという偏見を持っていたのだ。

ああ・・・なんという思い違いだったのだろう?なんと傲慢だったのだろう?

聴き手の存在を忘れるのは謙虚さの表れ?

kaz




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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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コメント

 

感動にプロもアマチュアもないですよね。

kaz様、

告知ありがとうございます。すみません。チケットお送りできずに帰って来てしまいました。もう少々お待ち下さいね。

クラシックコンサートが人気ないのは、曲の魅力を引き出しきれない演奏者の責任が大きいかな・・と、ずっと前から思っています。教育の問題が大きいかな、とも・・。

「音」を外すことに拘り過ぎるという事は、「1個の音」に意識が行っていますよね。「音」ではなく、「メロディー」を、つまり、「フレーズ」をどう表現するかが音楽の基礎だと思うのですが、チェルニーを100曲以上弾いても、目指すのは「1個の音も外さない」ことだったら、素敵な演奏になるわけがないです。
バイエルさんは、わざわざ色々な形でフレーズを書いてくれているので、その違いをどう表現するかは、バイエルでも十分学べるのですけれどね。音を間違えずに速く弾けたら◎、、という調子では、その魅力は感じ取れないので、楽しくはないですよね。そうやって、どんどん進んで行くので、難しい曲をノーミスで弾けるようになっても、聴いた時「つまらない」と思わせてしまうのだと思います。

私が何度もイジメ(笑)にあったように、学歴に拘る人がけっこういるのも、演奏をどう感じていいかがわからないので、「一流音大を出た人や、経歴が多い人の演奏が、良い演奏」だと思って聴く人もいるのでしょう。

音楽に感動するということを目指して、弾いたり聴いたりするのに、プロもアマも一流音大もコンクール歴も関係ないですよね。(でも、現実に集客に関係あるのでコンクール受けましたが、、)

他の記事にもコメントしたかったこともありましたが、アマチュアは楽しければ・・とは、私は思わないのです。分けません。分けて「専門家じゃないから感動的な演奏はできない」と思ったら楽しくないですしね。

聴いてくれる人への誠意が「ノーミス」ではないということや、どんなにボロボロにミスしても、「音楽し続けよう」という決意があって、流れていく演奏は、聴き応えがあるということ、小さい子でも、こんこんと話せば分かってくれます。

「最後の長い音を、弦の上で鳴ってから空へ消えて行くまで聴きつづけて見送ってあげてね」といったら、当時小2の子が、たった2ページのショパンの小品ですが、最後の音をじっと消えるまで見送って、客席がしんとなってから大拍手という演奏をしてくれました。音大は出ていないです。(笑)

客席で聴いているお客さん達があちらでもこちらでも泣き出す、kazさんの演奏を、北海道でも聴かせて頂けることが嬉しいです。

kazさんがいつも無料で開催されているコンサートを有料にしても、いつものお客さん達は喜んでお金を払うと思います。一方、音大の偉い先生が学生に、自分の演奏会の券をノルマのように買わせる話をよく聴きますが、もしも、買わなくてもなんの差し支えもなかったら買わない学生もきっと多いと思うのです。こういう場合、どちらが、本当にお金を取れるプロなのか、と考えます。

もっとも、プロ・アマの定義より、どちらも誠意を持って、お客さんと共に音楽に感動することを目指したいですね。

複数記事分のコメントになってしまって、、長い乱文すみません!!(^^;)

Megumi #3/2tU3w2 | URL | 2016/06/23 19:04 | edit

Megumiさま

自分が受けた感動を、今度は自分が外に放り投げる・・・感情の高ぶりみたいな動きを、音として再現してみたい・・・

プロじゃないんだし・・・一般的に言われる言葉ですが、そしてその言葉は謙虚な言葉と捉えられていますが、ちょっと音楽に対して、自分の内面を動かしてくれた音楽に対して不誠実だな・・・と。

また自分に対しても、自分の人生の中の貴重な時間に対しても不誠実だな・・・と。

~と思われる・・・ということなのだと思います。僕自身も、そうなりがちです。「アマチュアの分際で・・・」とか「自信がおありなんですね」とか「たかがアマチュアでしょ?音大生は専門的に勉強しているの。次元が違うの」とか・・・言われて(書かれて?)いい気持ちはしない。なのでブログでも無意識にそのあたりの表現を気にしたりして・・・

「ピアノで音楽をしているんでしょ?だったらピアニストではありませんか?」このスティーヴン・ハフの言葉に、嬉しさと厳しさを感じたりします。

kaz #- | URL | 2016/06/23 22:12 | edit

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