ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

心への起爆剤 

 

一ヶ月後に札幌のポルトホールという所で演奏する。一か月前というのは、色々な意味で微妙な時期ではある。まだまだ演奏以外のことを楽しみにしている、どこか余裕のある自分もいる。何を食べようか・・・とか。札幌というか北海道って、僕にとっては未知の土地なので。同時に、シビアに「練習できる時間」を実際に換算したりして、倒れそうに不安になったりもする。

むろん、「舞台上で~になったらどうしよう?」という誰でもが感じる不安ぐらいは僕にだってある。そして、練習を不安解消のツールにはしたくないとも思う。でもそれが難しいのだ。

一ヶ月前って、目的と手段をはき違える時期でもあり、それを修正するべき時期でもあるのかもしれない。

「なんで人前で演奏しようと思ったの?」「その曲で何をしたいの?」そもそもの「弾こう!」と感じた動機を見つめ直すというか、かつて感じた自分の心の動きを再度感じてみるというか・・・

「先生から指定された曲だし、自分としては心躍らない曲だし・・・」「初心者と思われたらイヤだからこの曲を選んだのでぇ・・・」という人も中には存在するのかもしれないが、自分としては、ある種の憧れというか、自分の心の動きがあったからこそ、その曲を弾いている・・・のだと思いたい。

心の動きを再認識してみる、つまり自分の心の動きに起爆剤を与える、これは一ヶ月前に行うべき重要なものであると思う。あと一ヶ月「~しなきゃ」「~になったらどうしよう」「~のようになったら悲惨だからそうならないように」ばかりではなく、「~できたらいいな」とか「~のような心の動きがあった、それを本番でも・・・」みたいなものに意識的に変換していく。指だけではなく、心の練習?起爆剤というか、心の「ユンケル」みたいな?

なぜピアノを弾いているのだろう?そもそもの目的なんて言語化できるようなものではない。だから心の中で再認識する。

アメリカに住むダリアスさん、なんとリッチな人なんだろうと思う。ここまで自然豊かな環境の中で暮らしているなんて。僕自身は田舎暮らし(?)そのものには憧れはないが、リッチだな・・・と思う。

ある時、鹿の親子を見る。一匹は脚が悪そうだ。母鹿や兄弟についていけない。そして取り残されてしまう。これは自然の掟なのだろう。強くなければ野生動物として生きていけない。ダリアスさんも最初は迷った。野生の動物に手を出してはいけないと思っていたから。でも脚の悪い子鹿は自力で生き抜いていけるだろうか?このあたりは野生動物が他にも沢山生きている。

「保護しよう・・・」ダリアスさんは、日頃の自分のポリシーを変えて、この子鹿を保護した。餌を与え、足には簡易ではあるが、装具も作った。ペットたちも、最初は戸惑いを見せたが、やがて子鹿を受け入れていく。なによりも、子鹿がダリアスさんに懐いていく。

子鹿は元気になっていく。ダリアスさんと、他のペットたち、そして子鹿との間に絆が結ばれていく・・・

「でもこの子鹿が生きていく場所はここではない。本来いるべき世界、自然に帰してあげなければ・・・」

ダリアスさんは、野生の母鹿を探す。鹿の群れを探す。「さあ、行きなさい・・・お前の仲間だよ、あそこで生きていくんだよ?それがお前の本当の幸せだよ。さあ・・・行きなさい!」

ダリウスさんの、なんとも切ない表情・・・

子鹿は野生の鹿にではなく、ダリウスさんについてきてしまう。何度もトライする。そして子鹿を野生の世界に帰すことに成功する。

数ヶ月後、ダリウスさんは野生に帰った子鹿を発見する。「生きていたんだ・・・よかった」鹿の群れの中で逞しく生きている子鹿・・・

もう子鹿ではなかった。立派に成長していた・・・

この15分程のダリウスさんの動画を観ると、僕の心は大きく動く。この部分は「演奏したい」という部分と非常に似ているし、重なっている部分でもある。

一ヶ月前・・・「どうしよう?」「~しなきゃ」だけではなく、心に起爆剤を与える・・・

kaz




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