ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

フロリダでのヘイトクライム 

 

12日、フロリダ州オーランドで銃乱射事件があった。日本でも大きく報道された。オーランドでは二日前にも歌手のクリスティーナ・グリミーさんが銃で射殺された痛ましい事件があったばかりだ。乱射事件の容疑者、オマール・スティーンは射殺されたのだが、どうもイスラム過激思想に洗脳されていたらしい。イスラム国への忠誠を誓った後、オーランドのナイトクラブでテロ行為を行った。

日本のニュースで知ったのは以上のこと。①アメリカ最悪の銃乱射事件・・・またも銃による痛ましい事件。②またもISに関係する恐ろしいテロ事件・・・ということ。

むろん、日本のニュースでも報道されていたと思うが、この事件にはもう一つの側面があるように思う。それはヘイトクライムという側面。いくつかの日本のニュースでは乱射事件のあった場所を、ただの「ナイトクラブ」と報道していた。事実だけれど、このナイトクラブはゲイの人たちの集まるクラブだ。オマール・スティーンは、ゲイのカップルが街中でキスをしているのを目撃し憤慨していたと父親は証言している。そのようなことから、無差別のテロではあるが、容疑者のターゲットとしてはゲイの人たちであった可能性がある。そうなると、今回の事件は銃によるテロ、さらにヘイトクライム、つまり憎悪犯罪ということになる。

この部分が日本の報道ではあまり強調されていないような?あまり今回の事件に対して、哀しみや憤りの声を聞かないような?パリやベルギーでのテロ事件の時は、あれほど聞かれたのに・・・

銃社会とか、テロとか、日本は平和なので、あまり危機感を感じない。もし今、僕が東京ではなく、ニューヨークに暮らしているとしたら、危機感は今のそれとは大きく異なるだろうと仮定する。日本で暮らしていると、どこか遠い国の、特殊事情が背景にある事件・・・なのかもしれない。でも多数派が少数派を排除しようとするという面においては、決して遠くの出来事とも思えない。

僕は初めて多数派というものの圧力を感じたのは、子供の頃。僕と姉は鍵っ子だった。母親は専業主婦でも兼業主婦でもなく働いていた。看護師だった。「まぁ、子どもたちが不憫ね。母親として心が痛まないの?子どもたちの教育にもいいとは思えない」物凄く強大な圧力を子供なりに感じた。その圧力は父親にではなく、すべて母親に向けられていた。そのことに対して、おかしい・・・と思ったし、世間での多数派の、何気ない、何気ないからこその、圧迫感を感じたものだ。

姉は母のそんな生き様を見ながら育った。そして姉も看護師になった。そして姉もまた世間、多数派の圧力を受けることになった。「まぁ、仕事も大切かもしれないけど、子どもはどうなるの?可哀そうじゃない?子どもが小さなうちは母親が家にいるのは当たり前のことよ?」そして多数派の声は、すべて義兄ではなく、姉に向けられた。「よほどご主人は理解あるのね?」そして姉の子ども、僕にとっては姪になるが、彼女もまた看護師になった。

多数派の常識が少数派を虐げるのだ。悪意はなくてもね。100%の理解なんてお互いに無理だろう。「同性婚?理解できないわ」それでもいいと思う。その人の考えだから。でも同性同士のカップルだって結婚という制度に守られて、異性愛のカップルが受けている当然の権利を自分たちも受けたいと考えるだけだ。その時に迫害しないで欲しいと思う。理解はいらない、でも排除しようとしたり、多数派の圧力をかけないで・・・と思う。普通に暮らしたい・・・それだけの望みなのだ。それが難しいのだから。

今回のフロリダ、オーランドの事件は銃社会の問題点をまたもや、あからさまにしたし、テロ行為の恐ろしさを認識させられた。そしてヘイトクライムでもある。僕はそのように思っている。50人の、ゲイという少数派の人たちが銃で射殺された。53人の人が怪我をした・・・そこには少数派への憎悪が根底にあった。

「母親は子どもが小さい時には一緒にいるべき」・・・父親じゃだめですか?

この人たちの生き方は完全に少数派のものだろう。「理解しなきゃ・・・」いや、理解しなくてもいい。でもこの人たちを攻撃してはだめだ。絶対に・・・

kaz




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