ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ノヴゴロドのライ麦、ノヴゴロドの白樺 

 

ラフマニノフはロシアのノヴゴロドという場所で生まれた。幼少期を過ごしたのはノヴゴロド州のオネグという街(村?)のようだ。グーグルマップでノヴゴロドの小さな街々を散策してみる。この地域の原風景はラフマニノフに何らかの影響を与えていたのだと想像する。現在でも、このあたりの風景は幼なかったラフマニノフの見た風景と変わらないような気がする。

アメリカに渡ったラフマニノフは、作曲家としてよりも、むしろピアニストとしての活動が増えていたようだ。それは現在でも残っているラフマニノフ自身の演奏から理由は想像できる。現在、ラフマニノフが蘇り、当時の演奏をしたら、もう現在のピアニスト系図のようなもの、人気度、価値観など、すべてがひっくり返るのではないだろうか?それぐらいに素晴らしい。

たしかメトネルだったかな?ラフマニノフに訊いたんだよね。「なぜ、あなたはかつてのように作曲をメインにしないのですか?」と。おそらくピアニストとしての活動、そこに至るまでの準備(つまり練習)に多忙だったのだと想像できるが、ラフマニノフはメトネルの問いにこう答えている。

「もう何年もライ麦のささやきも、白樺のざわめきも聞いていないから・・・」

胸の張り裂けるような答えではある。むろん、アメリカ時代のラフマニノフも傑作を残しているが、明らかにロシアの、ノヴゴロドの原風景というものを心で欲していたように思う。

桜の花びらが舞い散る風景・・・僕はこの原風景は心に持っている。でもライ麦のささやきも、白樺のざわめきも心の原風景にはないものだ。写真などで確かめることはできるけれど・・・

この心の郷愁のようなもの、ラフマニノフの音楽から、どこかロシア的なるものを強烈に感じることがあるとすれば、この部分なのかもしれない。本場の人は心の原風景を持っているということで、そうでない人よりは有利ではあるかもしれない。

「さくら横ちょう」を歌うのだったら、心の原風景には桜が舞い散る・・・のようなものがあったほうがいいのかもしれない。でも千鳥ヶ淵や上野公園の桜を見れば、「さくら横ちょう」をより上手く歌えるとも思えない。中田喜直の出身地、つまり渋谷の街を散策すれば中田喜直の曲をより理解できるとも思えない。

このヴァイオリニストのことは全く知らなかった。この人はロシア人であると思うが、ラフマニノフの曲を実に素晴らしく演奏している。その演奏から、ライ麦のささやき、白樺のざわめきが聞えてくる・・・そのように主観では感じる。

どこか本場の音、ロシア人が醸し出せる何か・・・のようなものを感じる。

kaz




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