ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

3%が本番を支配する 

 

本番では誰でも失敗はしたくはないよね。でも本番でガチガチになって、ひたすらミスなく・・・という演奏は非常に残念。

ある曲を譜読みして人前で弾けるまでにする。そこまでには長い、そして辛い(?)練習がある。本番は、いわば曲を演奏するという意味において、メインイベントであるわけだが、練習を97%とすると、せいぜい本番は3%ぐらいの割合であるのかもしれない。

演奏している本人だけが一生懸命で、聴いている人は置いていかれる・・・これは避けたいところだ。「そうよ、楽しめばいいのよ。アマチュアなんだから」でもこのスタンスを本番での3%にではなく、練習過程での97%で発揮してしまうと、どこか「だらけた」演奏になってしまうような気もする。かといって「練習の時と同じように弾けますように」と固くなってしまうのも、置いてけぼり演奏まっしぐらになってしまう可能性が・・・

バランスが難しいよね・・・と思う。

ある曲を長いスパンで捉え、その間に何回か人前で弾いてみる、これはとてもいいことだと思う。むろん、最初に披露する演奏そのものは未熟なものであるのかもしれないが、本人なりの完成形というか、目標は先にあるのだから、これはいいと思う。でも、明らかに譜読み途中というか、「まだ片手だけなんですぅ・・・」とか「途中までですいませ~ん」という演奏を気軽に人前で披露してしまうのは、あるいはそのような演奏を聴くのはあまり好きではない。なんというか、だらけた感じがして。まぁ、このあたりは人それぞれだろうが、個人的には「時間がもったいない」と思う。誰でも未来の時間が保障されていれば、それもいいけれど、来年の同じ時期には入院しているかも?自分の、あるいは配偶者の会社が倒産しているかも?あるいは介護でピアノどころではないかもしれない。

「まだ練習中で~す」というスタンスにしろ、逆に「ミスなく練習の成果を出さなければっ!」というスタンスにしろ、本番でそれ、つまり97%の部分を惜しげもなく他人に披露してしまうのは、アマチュアの特権かもしれない。または弱点?本番では97%ではなく、3%の部分が聴き手の印象、あるいは演奏の出来映えを左右するかもしれない。

練習の時とは異なる心理、気持ちで演奏するのがいいのではないだろうか?むろん、この部分は本人の選択余地のある部分だと思う。「私はアマチュア、私は私だから」というスタンスを貫くことができればいい。でも多くの人は心の中で「もっと上手くなりたい」とか「表現豊かに演奏できるようになりたい」と思っているものではないだろうか?「別に~」という感じならいいけれど、多くの人は自分の演奏、そして他人の演奏からの印象に揺れるものでは?少なくとも僕自身はそうだと思う。

3%に本番当日は賭ける。なんだか大変そうな表現だが、「弾けてないんですぅ~」でもなく「できなかったらどうしましょう?」でもなく、その曲との初恋の瞬間を想い出し、そこに賭けてみる。

「ああ・・・この曲・・・なぜこの曲に惹かれたんだろう?」そもそもの自分の動機を振り返ってみる。そしてその自分の感性を賛美する。「ああ・・・いいな」と感じたその感性。それを3%の部分で思い切り心の飛翔をしてみる。つまり練習からフリーになってみる・・・

「あっ、この人の演奏・・・いいな」と思える演奏、どの部分に惹かれる?表面的な超絶技巧?そうではないよね?その人がなぜにその曲を弾いているのかが聴き手に伝わる演奏・・・なのでは?曲に、あるいはある種の演奏スタイルのようなものに恋焦がれたという、そもそもの演奏者の動機が聴き手に伝わっている演奏。

「ああ、この人、本当にこの曲、この楽器が好きなんだな」ということが聴き手に伝わる演奏・・・

クルト・ヴァイルの「あんたなんか愛してない」をギターで弾いている。この人の演奏、いいな・・・と思う。

kaz




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