ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

「モスクワは涙を信じない」 

 

1970年代だっただろうか?テレビのクイズ番組で「アップダウンクイズ」という番組があった。「10問正解して、さぁ、ハワイへ行きましょう!!!」という番組だった。その頃はハワイ旅行というものは、庶民にとって高嶺の花・・・的な意味合いもあったのだろう。僕が海外旅行を経験したのは、1980年代の後半になってからだったと思う。現在のような気軽さはなかったが、それでも「さぁ、ハワイへ・・・」という時代ではなくなっていた。その頃は米国や西欧に憧れを抱いていた。多くの人がそうだったのではないかな?「ああ・・・ニューヨーク!」「ああ・・・パリ!」みたいな?

個人的に気になっていた国があった。心の奥底では訪問してみたい国でもあったと思う。それがソビエト連邦。でも、いきなりソ連旅行というのも大変な気もしたので、「まぁ、そのうちに・・・チャンスがあれば」みたいに思ってはいた。ちょっと他の国では必要ではない勇気というか覚悟の必要な国だったのではないかな?

海外旅行など全く現実的ではなかった少年の頃から、どこかソ連は気になってはいた。武田百合子の「犬が星見た」という紀行文をドキドキしながら読んだものだ。特に食事に惹かれた。むろん、ソ連なので(?)豪華な食事ではないのだが、きゅうりのサラダに紫蘇がかかっていて・・・なんてソ連的な感じがしたものだ。宮脇俊三の「シベリア鉄道9400キロ」も何度も読んだ本だ。文章から車窓の様子を想像したり、朴訥で親切なソ連の人たちが、カメラを向けると、とたんに後ずさりしながら恐怖の表情を浮かべたりする場面など、ソ連という国の独特の雰囲気を自分なりに感じていたように思う。「そんなに記録に残るということをソ連の一般人は恐れるのか・・・」

ソ連という国を実際に旅行したことはないのだが、ヨーロッパの都市を訪れる際には、モスクワの空港に寄ったことは何度もある。今みたいな直行便は少なかったのだろう。そのモスクワの空港は悪名高き(?)シェレメーチェヴォ空港。薄暗い照明、無駄に広い空間、恐怖のトイレ等々。でも「ソ連」という雰囲気を感じた。

ピアニストもそうだが、1980年代はソ連の芸術というものは神秘性があったように思う。バレエやフィギュアスケート、特にアイスダンスなど、圧倒的な強さと華やかさをも持っていた。その一方、商店に行列するモスクワ市民の様子なども日本に紹介され、物資不足の生活などは、煌びやかな芸術やスポーツのソ連とは正反対のところにあるような気もして、そのアンバランスな感じ、どこか資本主義の国の人間には掴めない何かしらの不思議さも感じたりした。

ヨーロッパの都市は色鮮やかだ。でも飛行機の窓から見えたソ連は「色のない世界」だった。単純に「人々はどのように暮らしているのだろう?」と思った。

少しでも自分の意見を表明したら投獄されてしまう?そもそも人間の感情というものは、ソ連ではどのように流れていくのだろう?無表情に色のない街を流れていくのか?

そんな時に観たのが「モスクワは涙を信じない」というソ連映画。「将軍を讃えます!」的な映画ではなく、どこかラブコメのような?性格の異なる3人の女性の生き様、生活、恋愛・・・のような?「セックス・アンド・ザ・シティ」に近い感じだろうか?そこには色があり、愛があり、涙があった。普通の人々の生活があった。1979年の映画なのだそうだ。そこで描かれているモスクワは僕の想像していたモスクワではなかった。

動画で流れている歌は「アレクサンドラ」という曲で、映画の主題歌のような感じなのだが、作曲と歌はセルゲイ&タチアナ・ニキーチンという夫妻だ。なんと二人とも物理学の博士号を持っていて、どこかの研究所に勤務している人たちだったのだそうだ。このあたりもソ連的というか、不思議な感じ。物理学の博士ねぇ・・・

「そのうち旅行してみたいな・・・」と思ううち、ソ連という国そのものがなくなってしまった。

kaz




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