ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

笑いとピアノ 

 

ノーマン・カズンズの「死の淵からの生還」を久しぶりに再読している。なんだか恐ろしいようなタイトルの本だが、この本は自己治癒力に関して考えさせられるところがある。自己治癒、つまり薬や現代医療に頼りすぎず、自分の力で治癒させてしまおうという考え方だ。カズンズは50歳の時に強直性脊髄炎という一種の膠原病を患う。身体が動かなくなり、猛烈な痛みを感じながら死んでしまうという恐ろしい病気だ。彼は薬に対してのアレルギーもあったので、さらに予後はよくなかった。治る確率は500分の一であろうと・・・

カズンズは悲観せず、考えた。笑いというものが免疫力を高めるのではないかと・・・

実際に笑っている時には痛みを忘れることも発見した。彼の、素人考えとも思える発案を主治医は「素人のくせに・・・」などと拒絶せず、「一緒にやっていきましょう」と。ヒッツィグ博士という人だ。実際にカズンズは膠原病を克服してしまうのだ。何故にカズンズは悲観だけに終わらせず、前に進めたのか?おそらく彼がジャーナリストであったこともその理由だと思う。カズンズの体験記は医療雑誌に掲載された。そして3000人の医師が「フ・・・素人が・・・」などという反応とは正反対の反応を示したのだ。「画期的な考え方だ」と。精神は肉体の医師である・・・と。

ユーモアとか笑いというものを重要視した人、もう一人いる。アルフォンソ・デーケンだ。彼はサナトロジーの権威者として知られているが、いかにユーモアというものが悲観、絶望というものから人を救うかということをも力説している人だ。デーケンはグリーフケアの重要性を説いている。どうも日本では馴染みのないケアだが、グリーフ、つまり悲観を感じている人へのケアだ。愛する人を亡くした家族、配偶者、パートナーに対しての心のケア。

彼が日本に来て間もない頃、その頃は日本語を勉強中だったのだが、ある日本人の家族から招かれたのだそうだ。まだまだ日本語に自信はなかった。こうアドバイスする人がいたのだそうだ。「日本人の場合は割と楽だよ。一つはニコニコしていればいい。二つ目は、うなずいていればいい。もう一つは、そうですね・・・と言っていれば大抵は上手くいくもんだ」

デーケンはその通りに実行した。上手くいっていた。日本人の奥さんが自分の手料理に対して「お粗末さまでした」と言ったので、デーケンは「そうですね」と答えてしまった。どうも反応がおかしかったので、家に帰り調べてみて、何故だか知った。

「ああ・・・どうしよう・・・なんてことを言ってしまったのだろう・・・」

デーケンはこの時悟ったのだという。自分の失敗を笑い飛ばせばいいのだ。失敗を恐れてコミュニケイトできなくなったり、殻に閉じこもってしまうよりいいではないかと。ユーモアで笑い飛ばすのだ・・・

ユーモア、笑い・・・どこかに自己肯定が必要かもしれない。ピアノブログを徘徊していると、どうも自分のピアノに悲観的、この言葉が大袈裟であれば、肯定していない文章を書くブロガーが多いような気がする。「まだまだ~なので」「身の丈にあった曲にすれば・・・」「崩壊してしまい落ち込んでいます」等々・・・

本当にそう思っているのかもしれないが、人の目を気にしているという要素もあるのでは?○○と思われる・・・みたいな?むろん、自分の至らないところを自覚し改善していくのは大切だとは思うが、自分のいいところって皆無なのだろうか?失敗してしまったら笑い飛ばせばいいのでは?誰が迷惑するというのだろう?長所を伸ばすという思考の方が、短所を改善するというだけの思考よりも幸せだと思うのだが。ピアノ=自分の幸せと単純に思ってしまったら?「どうせ自分は~だし」と思うよりいいと思うが。

自分の演奏、失敗しても笑い飛ばしてしまったら?膠原病を治すことのできる笑い、ユーモア、ピアノぐらい上手くしてくれるのでは?

「悲観することは時間の浪費だ」   ノーマン・カズンズ
「ユーモアとは相手に対する思いやり」   アルフォンス・デーケン

kaz




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