ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

悪意のない偏見 2 

 

ちょっと前のことになるが、デンマーク大使が離任をする時に、ある問題が起こった。普通、各国の大使は任務終了の際、配偶者を伴い、皇居で天皇と謁見するのだそうだ。まぁ、離任の挨拶だろうか?デンマーク大使はゲイであり、当然配偶者も男性だったわけだ。デンマークでは同性婚が認められており、正式な夫婦というか、パートナーだったわけだ。しかし、日本の外務省は配偶者同伴での謁見を拒否したのだ。理由は「家族としては認めるが、配偶者としては同性なので認められない」だったかな?よく国際問題にならなかったねぇ・・・と思う。大使の赴任中には東日本大震災があったわけで、大使は色々と動いてくれたと聞く。大使だけではなくデンマーク国民もね。外務省の対応は、なんだか残念な感じではあった。むろん外務省を非難する声が多かったのだが、中にはこんな意見もあったと記憶している。「そもそもゲイの人間を大使に任命するデンマークがおかしい・・・」

日本だけLGBTの問題だけ鎖国をするわけにはいかないだろう。先進国では大使や大臣、国の元首が同性愛者ということだってあるだろうし、その場合は配偶者を伴って来日することだってあるだろう。これからどうするのだろう?

デンマークは世界で初めて同性同士のパートナーシップ、つまり事実上の同性婚を認めた国だ。1989年だったかな?世界初の同性同士のカップルもデンマークで誕生していたはずだ。このあたりの各国の同性婚事情(?)のようなものを勉強したわけではないので、詳しくはないのだが、「同性結婚法」というものを初めて成立、施行したのはオランダだったかな?かつてアイルランドでは同性愛は犯罪とされていた。見つかれば刑罰があったわけだ。たしか、1995年に同性愛は犯罪ではないとされたはずだ。昨年、アイルランドでは同性婚が認められている。世界初の国民投票での結果だ。米国で、州単位ではなく国として認められたということも世界的な流れを推し進めるものとなるのではないかと思う。つまり世界は動いている・・・

では、デンマークやオランダでのカミングアウト、日本でのカミングアウト、告白される側である親の気持ちというものは変わるのだろうか?同性同士のパートナーシップというものを、国、あるいは国の常識となっている国と、そうでない国では、やはり違いはあるのだろうか?基本的には親の気持ち、感情というものは、世界のどの地域であれ、変わらないものとも思う。反応の仕方という意味では変わるのかもしれないが・・・

先の動画で日本人男性が父親にカミングアウトをしていた。「正式に会ってもらいたい」「いや、会いたくない。それはできない」日本人だから保守的というよりは、これはお父さんにとってカミングアウトの内容が酷、というかハードルが高かったのでは?いきなり「相手と会ってくれ」はハードル高し・・・と思う。まずは「僕はゲイなんだ」というところから始めたほうが良かったのでは?お父さん、驚いただろうが、受け入れてくれたのではないだろうか?分からないが・・・

同性愛者だからって差別するなんていけないわよね・・・という人でも、自分の息子、娘が同性愛者だと打ち明けたらどう反応するだろう?「結婚したいんだ。相手は男性なんだ」「結婚したいの。相手は女性なの・・・」どうだろう?「それは素晴らしいことじゃない?」と言えるだろうか?難しい問題だと思う。

このあたりの親の心情は国別に変わるものでもないんじゃないかな?でも同性愛者のカップルが幸せに暮らしているという事実が、もっと公になれば、公になっている国とそうではない国とでは、感情というより、どう反応すべきかということでは違いは出てくるのかもしれない。

これはアメリカでのカミングアウト。双子の兄弟みたいだ。父親としては、いきなり二人からゲイだと告白されるわけだ。日本とアメリカで変わるなんてことはないような気がする。どちらにとっても重いものなんだと感じる。

kaz




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コメント

 

二人の青年、どれほど悩み、苦しんできたか、が伝わり、本当に可哀想に思いました。が、父親が、理解のある人で本当に良かったと思いました。同性を愛してしまう…それの一体どこが悪いと言うのでしょう。本人にとって、どうしようもない事であるにも関わらす、その事によって苦しまなければいけない…というのは、本当に可哀想だと思います。でも、そんな深い苦しみ、悲しみを抱えた方々は、それゆえに、本当に人間として深みがあり、優しさ、魅力があると感じます。

ピアノ教師 #- | URL | 2016/05/24 01:40 | edit

ピアノ教師さま

アップル社という大企業のトップが自らゲイであることをカミングアウトしました。欧米では俳優、スポーツ選手、政治家、企業のトップや重役などがカミングアウトをするのは珍しいことではなくなりました。

「自分の告白が苦しんでいる人の何らかの助けになれば・・・」という気持ちがあるようですね。自分自身が性的なマイノリティに属していることで、性的ではないマイノリティに属している人の痛みが理解できる・・・

皆が同じである、同じ人間である・・・これだけのことが人類にとって、これほど困難なこととは・・・

kaz #- | URL | 2016/05/24 11:20 | edit

私は、この二人が父親に電話しようとした際、溢れ出た涙… 。それが可哀想でなりません。まだまだ若い二人… こんなにナイーブな二人が、こんな事をして、心ない人達から更に傷つけられるような思いはしないだろうか?と……。公表したかったら、もっと歳を重ねて、図太くなって、親からも世間からもどう思われたってどう言われたって関係ない!となってからからでもよいのでは? と。
私は、まだまだ偏見のある中、わざわざ公表なんてしない、そういう権利だってある、と思うのです。別に隠すとかそういう事ではなく…。公表しないことに罪悪感を感じてしまってはいないだろうか?そうだとしたら、それは違うと思います。悪いことでも何でも無いのですから!!
堂々と、『公表しない権利』も自覚するべきだと思います。

ピアノ教師 #- | URL | 2016/05/25 01:54 | edit

ピアノ教師さま

ゲイであることを公言するか、あるいはしないで生きていくかは、もうそれはその人たちの選択であるので、「カミングアウトしない」ということは悪いことではないと思います。カミングアウトをする人が増えているということで救われる人がいるという事実に注目したいところです。

LBGTの人、日本では20人に1人だと言われています。個人的には「そんなに多いんだ」と感じますが、20人のうち19人はそうではない人ということでもあります。

一昔前までは、公言する人も少なかったわけで、多くのゲイの人は、自分のセクシャリティについて悩み、自分の中にしまいこんで生きていた人が多いと思います。公言することで受ける差別もあると思いますが、しないことで感じる差別も多かったのではないかと想像します。

少なくとも、カミングアウトをする人がいる・・・その事実を知るというだけで「自分は異常なのかしら?」「自分は変態なのかしら?」という苦しみから抜けられる可能性がある。「自分だけではないんだ・・・」と。

齢を重ねない若い頃にカミングアウトするということは、自分に正直に生きていける歳月がその分長くなる・・・と考えることもできるのでは?年齢を重ねれば図太くなるというものでもないと思うし・・・

カミングアウトをする人は、過去の自分の苦しみを将来に、そして同じ時代を生きる自分たちと同じような苦しみを抱える人たちに連鎖させたくないという想いも持っているのかもしれません。

公表しないことへの罪悪感、なんとなくJGBTの人たちは「他人がしているから自分もしなくては・・・」という一律性を持っていない人が多いような気はします。人と違うということで苦しんできた人たちであるように思うので。

「自分を偽って生きていくくらいなら、差別を受けたほうがマシ」この言葉をとても重く受け止めます。

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kaz #- | URL | 2016/05/25 20:53 | edit

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