ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

悪意のない偏見 1 

 

きたろうという人、タレントさん?がいるらしい。僕は知らなかったが。この人がフィギュアスケートの羽生選手に「君はゲイなの?」と本人に訊いたらしい。羽生選手の答えは「違いますよ~」というものだった。それをラジオ番組で話したみたいだ。「羽生選手はゲイではないって本人が言ってましたよ」みたいに。僕はそのラジオ番組を聞いてはいないので、この通りの言葉づかいではなかったとは思うが、大筋はこんなところだろうと思う。別にきたろうという人を糾弾するつもりもないし、羽生選手の返答についても何も思わない。「だから何?」と思うし、羽生選手がゲイであろうと、ヘテロであろうと、それはどちらでもいいと思う。きたろうという人は、羽生選手の演技を知っていて、その芸術的要素みたいなものから、「ゲイなの?」と訊いたのかもしれない。マッチョで粗野なものとは正反対の繊細さを感じる演技だから。なので無意識に軽い感覚で「ゲイなの?」と訊いたのかもしれない。

今の日本で「はい、僕はゲイなんです」「私はレズビアンなんです」と公言できる人はどれくらいいるのだろう?あとは異性愛の人に対して、非常に性的なプライベートな問題を気軽に質問してしまうなんてあるのだろうか?例えば、ランチをしている時に、その場にいたママ友に「ねえ、あなたたち夫婦って夜の営みは週に何回あるの?」なんて訊く人はいるだろうか?その場の空気が固まるのでは?

話題にしている本人がその場にいなくても「ねぇ、Aさん夫婦って、あちらの方はどうなのかしら?」なんて話題にするなんてことはないのでは?でもゲイ、LGBTと思われる人だったらどうだろう?「ねえ、Bさんって、あちらの趣味の人っぽくない?」「そう、なんとなく私もそうだと感じていたの」という話題はどうだろう?もしかしたらあるかもしれない。「ねえ、ホモなんですって」という強い口調ではなく、ごく軽い感じだったら?あるかもしれない。

人種差別、男女差別とLGBT差別との違い、それはカミングアウトの問題を含んでいるということではないだろうか?性的なことって、人に公言しなければ、隠そうと思えば周囲には隠しておけるものだ。カミングアウトをしていない人に対して、「ねえ、ゲイって理解できないよね?同性婚とか話題になってるけど、子どもが産めないんだよ?」なんて、話している本人は気づかずに、ゲイの人に話してしまっているという可能性はあるのだ。「あの人ってオカマっぽくない?」言われている本人ではなくても、聞かされている人がゲイだったら?そのような可能性はある。

「じゃあ、ゲイであることを公言、カミングアウトすればいいじゃない?知っていればそんな話題は避けるわよ」

あるレズビアンの方は、中学生の頃、同性に魅力を感じてしまうのを自覚した。むろん、自分は変なのかしらと悩んだ。保健の授業で思春期の事を学んだ。保健の教科書にはこう記述してあった。「思春期になると異性に性的な魅力を感じるようになる」と。教科書は「異性」と言い切っていたのだ。その方は自分の気持ちを絶対に知られてはいけない、一生隠していこうと誓ったのだそうだ。苦しかったのではないだろうか?

ゲイであることをカミングアウトした途端、飲み会などに一切誘われなくなった人とか、職場で無視されるようになった人とか、親友だと思っていた人に打ち明けたところ、「知らなかった。私の結婚式の写真にだけは写って欲しくはなかった」と言われたり・・・

LGBTであることを隠して社会とのバランスを上手くとって生きていく方法もある。これも一つの生き方だ。ただ、隠している以上、軽い、自覚のない偏見にはいつも遭遇する可能性はある。自分のことを言っているのではないと知ってはいても「ゲイって~と思わない?」みたいなことを聞かされることになる。

欧米と比較すれば、まだまだLGBTの問題に関しては遅れている日本だが、カミングアウトをする人は昔と比べ、増えてきている印象を持つ。いくつかの自治体がパートナーシップ証明書を発行するようになったということが大きいのではないかと個人的には感じる。それに伴い、いくつかの生命保険会社が同性のパートナーにも保険金を受け取れるようにしたり、各携帯電話会社が家族割の制度を同性のパートナーにも適用したり。一部ホテルや結婚式場も同性カップルの挙式に非常に積極的になったり・・・

同性のカップルってお金があるのだ。子どものための学資なんて考えなくていいし、お互い経済的に自立したカップルが多い。その点では異性愛同士の結婚というものよりも、健全であるかもしれない。「経済的には自立している。一人でも生きていける。でもパートナーと共に人生を生きていきたい」

むろん、公言しないという選択をする人も多いだろう。する、しないは本人たちの自由だと思う。ただ制度が少しでも整うようになると、「普通の人間として生きていきたい」という欲求が生まれるのではないだろうか?ヘテロのカップルであれば、入籍し、結婚式をし、周囲と自分たちへの「人生のけじめ」を示すことができる。今までは自分たちには無縁だったこと。もし、できるのであれば、異性愛のカップルの人たちと同じように・・・と思う。そのために必要なのが、カミングアウトなのだ。

LGBTの人たちがカミングアウトをするということは、自分の人生を賭けた行為なのかもしれない。特に肉親の場合はそうだろうと思う。親というのは、基本的にはヘテロなので、さらに年代的に、どちらかと言えば保守的な考えを持っている人も多いのではないかと思う。むろん、まったく偏見のない親だっているだろうが。

「お父さん・・・実は僕はゲイなんだ」この一言、この一瞬に自分のすべてを賭けるのではないだろうか・・・

時代は過渡期なのかもしれない。カミングアウトをする人も増えていくかもしれないが、まだまだ隠して生きていかなければならない人も多いだろうと想像する。

悪意のなさ、軽い気持ち、このことは、より「一般的な考え」というものを強調させるものだ。

「ねぇ、Bさんてちょっと、あちらの方なのかしら?オカマっぽくない?」

静かに聞いているCさんは、実はゲイかもしれないよ?

kaz




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