ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

趣味でも真剣 

 

ヴァイオリンを聴くのは好きだ。でも自分が演奏するとか、習うということは考えられない。難しそうだもの。自分で音を作る(ピアノもか?)というところのハードルが高い。でも習うとしたら、楽器の持ち方も知らないわけだから超初心者となるのだろうが、でも先生からはっきりと「趣味なんですね?ではそれなりに楽しくということですね?」などと言われたら「違います」と答えるだろうとは思う。「えっ?その年齢で音大?」などと言われても「違います」となるだろう。趣味でも真剣?ヴァイオリニストではジノ・フランチェスカッティが好きだ。ヴァイオリンを習うのだったら、フランチェスカッティが理想となるだろう。むろん、僕に残された時間を考えれば、僕がフランチェスカッティのようには弾けるようにはならないだろう。時間があっても無理。でも「えっ?フランチェスカッティ?あなた・・・ドレミも弾けないのに無理でしょう?一生無理だわ」と先生に言われたら、事実だけれど、なんだか反発したくなると思う。

追うのが楽しい?よくは分からないが。はっきりしているのは、楽しくと専門的の中間?ピアノもそう。楽しくないとイヤだ。根性だけで苦しんで弾けるようになるなんてイヤだ。でも練習は面倒とも思うし、楽しいとも思う。レッスンや練習で娯楽的な楽しさは感じなくてもいい。おそらく「楽しく」と「専門的に」みたいに単純に分けられないのだと思う。

おそらく、鑑賞者として感じた何かしらのものを、演奏者としてサウンドを生む時にも欲しくなる。それを追うのが楽しい。

今は、それほどでもないが、以前はピアノ教育に関する雑感などを書いていた。それらの昔の文章に反応してか、今でもメールを頂く。大人の方もいるが、高校生も多い。高校生が僕のブログなどを読んでいるということに驚くが、真剣に悩んでいる人が多い。

「上手になりたいんです。でも音大なんか行くつもりはない。先生は趣味で楽しくか、専門的にか、どちらかしかないみたい。趣味だけど真剣にやりたいし、でもピアノ最優先というわけではない。でも趣味だから楽しくというのとは違う・・・」「ピアノを専門的に習うなんて、そんな生易しいものではないのよ?覚悟がいるの。みんなそうやってきたの。専門的に習うのではないんだから趣味でしょ?」

そう、趣味だ。ピアノで自立して生きていく意思はないわけだから。でも上手くはなりたい。それって普通の感覚なのではないかと思うが・・・

まだ小さなシンプルな曲を弾いている。でも思うんだ。「いつかホロヴィッツが弾いたシューベルトみたいに私もシューベルトを弾きたい」と。それは専門的にとか、そういうことではないけれど、普通の感覚だと思う・・・

「えっ?趣味なんでしょ?」・・・違うなと思う。
「ピアノは生易しいものではないの。あなた覚悟はあるの?」・・・違うなと思う。

中間というかね・・・

この人は大人になってからフィギュアスケートを始めたのだそうだ。おそらく、現役の選手の演技、あるいは往年の名選手の演技を観て、「ああ・・・僕もこんな風に滑ることができたら・・・」と思ったのだろう。

「趣味なんでしょ?楽しく健康のためにでも滑ればいいじゃない?週末にでもリンクで自由に滑ればいいじゃない?なんで仕事で疲れているのにコーチについて練習なんかするの?」・・・違うなと思う。

「オリンピックに出場したいの?年齢を考えたことがあるの?覚悟はあるの?」・・・違うなと思う。

仕事帰りにリンクで練習しているのだろうか?夜間にでも?あるいはオフの日に?相当練習を重ねてきているのが分かる。真剣なのだ。趣味だから楽しければ・・・なんて、このアダルトスケーターには死んでも言えないような気がする。

kaz




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