一体化・・・ウィーン・ラトビア編
今年、2016年のウィーン・フィル、「ニューイヤーコンサート」の指揮者はマリス・ヤンソンスだった。この人は個人的に「ニューイヤー」に登場してくれないかな、と思っていた指揮者なので、とても嬉しかった。実際には、2016年に初登場ではなく、それまでにも二度も「ニューイヤー」に登場していたんですねぇ。知らなかった。
このコンサートで毎年アンコールで演奏されるのが、この曲。お馴染みの曲だけれど、やはり「毎年飽きずに・・・」なんて思わないですねぇ。ベルリン編と同様、聴衆と演奏者、曲、作曲者との一体化があり、「音楽」となって空間に飛翔していると感じる。聴衆が手拍子するのも毎年のこと。手拍子が楽器となっている。
成熟した文化とは、芸術が高尚な場所で鎮座しているのではなく、受ける側とどこか一体化しているものなのかもしれない。本当の超絶技巧というものが、楽々と自然であるように・・・
ウィーン、楽友協会ホールの新年、この時間、世界で最もこの場所が幸せな空間だったのかもしれないが、その場所にヤンソンスというラトビアの指揮者が存在していたことが嬉しい。彼の父親アルヴィドはレニングラード・フィルの指揮者だった。母親のイライダは歌手だった。普通だったら、「血筋だね」となるところで、実際にそうなのだと思うが、母親のイライダはユダヤ人だった。マリスの父親と兄弟は、たしかリガのゲットーで惨殺されているはずだ。
マリス・ヤンソンスが世界一幸せな時間、空間を指揮し、共有していたことがとても嬉しい。
kaz

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このコンサートで毎年アンコールで演奏されるのが、この曲。お馴染みの曲だけれど、やはり「毎年飽きずに・・・」なんて思わないですねぇ。ベルリン編と同様、聴衆と演奏者、曲、作曲者との一体化があり、「音楽」となって空間に飛翔していると感じる。聴衆が手拍子するのも毎年のこと。手拍子が楽器となっている。
成熟した文化とは、芸術が高尚な場所で鎮座しているのではなく、受ける側とどこか一体化しているものなのかもしれない。本当の超絶技巧というものが、楽々と自然であるように・・・
ウィーン、楽友協会ホールの新年、この時間、世界で最もこの場所が幸せな空間だったのかもしれないが、その場所にヤンソンスというラトビアの指揮者が存在していたことが嬉しい。彼の父親アルヴィドはレニングラード・フィルの指揮者だった。母親のイライダは歌手だった。普通だったら、「血筋だね」となるところで、実際にそうなのだと思うが、母親のイライダはユダヤ人だった。マリスの父親と兄弟は、たしかリガのゲットーで惨殺されているはずだ。
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