ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ウィーンのツィター師 

 

「第三の男」という映画を観たことはなくても、ツィターの音色が印象的なテーマ曲は聴いたことのある人は多いかもしれない。「あっ、この曲知ってる・・・」この曲を作曲し、実際に演奏していたのはアントン・カラスという人。

・・・とここまでは僕も知っていた。映画は観たことがある。アリダ・ヴァリがジョゼフ・コットンを無視して歩き去るラストシーンは特に印象に残った。

もともと「第三の男」には別の音楽が存在していたらしい。オーケストラで演奏される普通の(?)曲。監督のキャロル・リードが、ウィーンのホイリゲの薄給のツィター弾きだったアントン・カラスを大抜擢したのだ。

「この男を音楽に起用しよう。この男に映画の音楽をまかせよう」

監督はアントン・カラスをロンドンの自宅に呼び寄せ作曲させる。しかし、なかなか監督の思うようなサウンドが生み出せない。監督は部屋に大の字になって寝そべり、「曲が完成するまで俺は起き上がらない」とアントン・カラスに迫る。数時間が経過し、やっとポロンと現在聴くことのできるテーマ曲の一節がツィターからこぼれ落ちた。

「そうだ!その音楽だよ、俺が欲しかったのは・・・」

映画はヒットした。たしかカンヌでも受賞したのではなかったか?「第三の男の主役はツィターである」という言葉が表すように、テーマ曲、つまりアントン・カラスの音楽はそれ以上に世に知られる存在となった。アントン・カラスはローマ法王の前でも演奏し、世界中で演奏するまでになった。ウィーンのホイリゲの薄給のツィター弾きだったアントン・カラスは世界に知られる存在となった。ホイリゲで弾いていただけでは一生稼ぐことのできなかった金額を数年で手にしてしまった。ツィターというオーストリアの民族楽器が世に知られるようになったのは、アントン・カラスの功績だ。

「第三の男」がヒットしなかった国がある。アントン・カラスを音楽家として認めなかった国がある。それはオーストリアだった。なぜ映画の舞台であるウィーンで映画が認められなかったのか?それは戦後混乱期のウィーンの闇の世界を映画は描いていたからだ。この映画は基本的にはフィルム・ノワールなので、夢見るような美しいウィーンではなく、ダークなウィーンが描かれていた。犯罪都市としてウィーンは描かれていた。

アントン・カラスは、この映画の後、故郷のウィーンでホイリゲを開店しようとしたらしいが、同業者から反発され、実現しなかったらしい。さらにウィーンの音楽界はアントン・カラスを認めなかった。

一つには、ツィターという楽器への偏見。酒場の楽器だろ?世俗的な楽器だろ?さらにはアントン・カラスの先祖にハンガリー地方のロマの血の流れがあったのではということ。アントン・カラス自身はこの説を否定している。

ただ日本も含め、オーストリア以外の国々では映画も音楽も大ヒットしていたから、アントン・カラスは演奏に忙しい日々を過ごしてはいた。

ただ、一瞬も故郷を忘れることなく、唯一自分を認めてくれないウィーンを愛し、ウィーンの音楽、料理、そして言葉を懐かしみ、いつもホームシックにある状態だったという。決して英語を話さず(話せず?)自国の言葉だけで通した。

どこか孤独であったアントン・カラスにとって唯一心の通い合える人が「第三の男」の監督、キャロル・リードであったという。

リード監督の葬式では、親友であったアントン・カラスが「第三の男」のテーマ曲、通称「ハリー・ライムのテーマ」を演奏したのだという。

kaz




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