ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

「明石の空の下で」 

 

ピアノ教師でも、奏法のことを文章、たとえばブログなどで表現することには困難さを伴うという。おそらく書き手がAということを想定して書いていたとしても、読む側にはA~Zという幅広い解釈というものが存在するからであろう。傍らで弾いてしまえば100パーセント理解してもらえるようなことでも、文章だと難しいのだろう。

弾き方、奏法に関してもそうだが、そもそもピアノを弾いているという動機を文章で表現するのも難しい。

「う~ん、好きだから」の一言で代弁できてしまうような?「楽しいから~」ではない。それもあるが、それだけではない。でもなんで弾いているのか?

「上達したいから」なんだろうけど、やはり多くの人は「超絶難曲をアムランのように弾きこなす」というところを目的としてはいないだろうし、ピアノの世界に深く入っていくということは、音符の量も増大していくのが普通だから、なんとなく「アムランのように・・・」と弾ける人ほどなりがちなのかもしれないが、でも動機としてはそこではないような?

個人的には自分が受けた何かしらの感動、感情、情念みたいなものを、それは日頃は心の奥底に隠しているようなことなのだけれど、ある種の音楽や演奏を聴くと、その部分に触れてきてしまう。そうなると、自分でその部分を音として発散したくなってくる・・・こんな感じだろうか?しまいこんでいるのが辛くなってくるというか・・・

このブログに愛読者という人がいるのかは不明だが、もし存在するとしたら、このギタリストはお馴染みなのではないだろうか?Cyrloudさんというフランスの人だ。アマチュアなのか、プロなのか、どのような経歴の持ち主なのか、それは調べてはいない。僕にとってはどうでもいいことだから。ただこの人の演奏が好き。とてつもなく好き・・・なのだ。

彼が演奏しているのは「明石の空の下で」という曲。やはりフランスのギタリスト、作曲家であるジャン=マリー・レーモン(男性です)という人が日本のギタリスト、稲垣稔氏のために送った曲。稲垣氏は癌で若くして亡くなってしまうのだが、最も苦しい闘病中、それは亡くなる数ヶ月前だったそうだが、この稲垣氏に捧げる曲、「明石の空の下で」が送られてきたのだそうだ。

曲もCyrloudさんの演奏も素晴らしい。他人への「気」というものが入っているというか?

このように自分も・・・ということなのだろうが、この演奏からある記憶が浮かぶ。その記憶に伴う感情を音で表現したいというのが、僕の場合の「動機」となるだろうか?

5歳の頃だったと記憶している。その頃には東京にも野良猫がたくさんいた。ある野良猫と目が合ってしまった。そのまま通り過ぎてしまうべきだったのだろう。僕は無意識に、その野良猫と目線を合わせてしまった。何秒間だっただろうか?僕は野良猫がミャーと微笑んだような気がした。僕が歩くと、野良猫も距離を保ちながらついてきた。悪い気はしなかった。可愛いと思ったし。家が近くなると、現実的な考えが浮かんだ。「飼う・・・なんてことはできないだろうな」と。「シッ・・・」と追い払うことなんてできない。その時に近所のおばさんに会ったのだ。「あら?野良猫?困るのでしょ?しつこいのね?」おばさんは猫を追い払った。その時の野良猫の目、表情が忘れられないのだ。裏切られた、というような複雑な表情をしていた。僕を恨んでいるような・・・

「明石の空の下で」と野良猫とは一切関係のないことなのだが、この時の猫の表情、そして僕の感情、それらが僕の中でつながるのだ。

ギターは弾けないので、僕はこの「明石の空の下で」を実際に演奏することはできないが、ピアノ曲を演奏する場合も、なにかしらの自分の内側からの何かというものを感じてはいると思う。

kaz




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