ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ミラーニューロン考 2 

 

先程のジョン・カリーの演技、終盤の方で大きな大きなイーグルという技がある。このイーグルの技の時、「僕・・・沢山イーグルを練習しました。あっ、本番でも上手にできてま~す」という印象をジョン・カリーの演技から感じることはない。彼にとってはイーグルという技は目的ではなく、表現のための手段なのだ。

「今イーグルが上手にできてま~す」という感じのピアノの演奏、多くないだろうか?目的と手段のはき違えみたいな・・・

どうしてもピアノに限らずだが、時間をかけてコツコツ積み上げていくものって手段が目的になりやすい気がする。練習を重ねていくうちに、そしてそれが長年の習慣となっていくうちに、「弾きこなす」という手段が練習の目的化となっていき、本当の目的が見えなくなってしまうというか。このあたりは今のピアノ教育界の最大の課題でもあるのではないか?

ジョン・カリーは残念ながらエイズで亡くなってしまったね。本当に残念だ。この動画でタンゴを踊っているカルロス・ガヴィートも癌で苦しんだ人だ。「何回も身体を切ったんだよね」と言いながら踊り続けていた。この踊りも闘病しながら踊っていたのかなぁ・・・などと思う。

タンゴという踊り、感情の赴くまま、奔放に情熱的に・・・みたいな印象があるけれど、女性のマルセラ・デュランもそうだが、カルロス・ガヴィートの踊りは、感情の赴くままに見える、見ている方が感じるのであって、感情のまま踊っているようには見えない。

感情・・・

感情の赴くままピアノを弾いたらどうなるだろう?そこには技というものを介さないと、「自分だけで酔ってる?」みたいなことになってしまうだろう。でも感情がなければ「なにも出すものがありませ~ん」になってしまう。技の習熟度だけ見せられてもねぇ・・・

そう、そのあたりのバランスが重要なのではないだろうかとも思う。

ここまで官能的に見える踊りだけれど、カルロス・ガヴィートの、音を先取りする動きは凄いものがあるのではないかと個人的には感じる。やはりジョン・カリーのように「意思を感じる」し、「絶妙なるコントロール」「計算」を感じる。でも機械のようにはならないのは踊りを見れば分かる。決して「自分たちだけで酔っている」という風にはならない。念密にコントロールされたものを、音の一瞬前で出そうと脳から指令が出ているから。

このタンゴもミラーニューロンの働きにより、ピアノ演奏にも生かせるのではないか?

kaz




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