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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ミラーニューロン考 

 

最近「ミラーニューロン」という言葉をよく耳にする。「ものまね細胞」とも言われ、例えば、素晴らしいパフォーマンスとか、フィギュアスケートにおける、いい状態でのジャンプなどを見て、というか見ただけで自分の中のミラーニューロンが働き、パフォーマンスとかジャンプを成している根本的な要素を感じてしまうというか・・・

むろん、「自分でもできる」というところまで、会得するには練習を重ねるのだろうが、「コツ」みたいなものは自然と感覚的に入ってしまうみたいな?

僕は子どもの頃、ピアノの先生から何かを学んだという感覚が実はない。「ドレファ・・・じゃなくてドレミでしょ?どうして覚えられないの?」みたいなことは(だけは?)言われてきたけれど。偉大な演奏家の音源を聴くようになって、自然とそのような演奏というか、響きというか、自分なりに感動したものを真似るようになった。彼らの演奏を成している「音」「響き」など、そして自分の心を動かした「何か」を自分なりに追うようになった。言葉を変えれば「なんちゃって遊び弾き」だ。自己流というかね。

でも完全にこれは無駄だったのだろうか?今の自分の演奏、もし人(一般的アマチュアというか?)と異なる要素を聴いている人が感じるのだとしたら、遊び弾き、なんちゃって弾きの時代に養われたものとも自分では思う。「ピアノってこのように弾くんですよ」と教えられたことがないわけだから・・・

ミラーニューロンって、やはり身体を使って表現するパフォーマンスの分野で語られることが多いように思うが、耳から入ることも可能なのかもしれない。耳から入り、その音色を形成している動き(共通した弾き方)みたいなものを探っていく・・・これもミラーニューロンなるものが働いているのでは?違うかな?

ピアノ演奏に限らずだと思うのだが、個人的に人のテンションを奪ってしまう、「あ・・・このパフォーマンス・・・好き」のように人を魅了してしまうパフォーマンスには、ある共通点があるように思う。

「そのパフォーマーの意思を感じる」ということ。音の鳴る瞬間とか、身体を動かす瞬間とか・・・

ピアノだと、実際に音を鳴らす(タッチする瞬間)よりも、一瞬だが、「このような音を出すのだ」という音イメージが鳴っていなければ、意思を感じる音は出ないだろうと思う。卓越したピアニストの場合、タッチと移動は同時ではない。必ず移動が先で、一瞬の準備があって打鍵している。なので意思のある音が具現できているのではないか?

卓越したバレリーナなどの場合、音楽と同時に身体を動かしているのではなく、「音を先取りしている」という印象が強い。むろん、音楽とずれてはいないわけだから、実際には音と同時に動いているのかもしれないが、「このような念密な動きをするのだっ!」という「意思」が動きの前に感じられる。なので「音楽をつかんで、音楽を支配して踊っている」という印象になる。先先先・・・という印象。

結果的には「コントロールされた音の連なりで、演奏家の意思を感じる演奏」と「一応強弱もついて弾けてはいるけれど、表現らしきものもあるけれど、ベチャンとした音というか、凡庸な演奏」とに分かれてしまう。バレエであれば「身体が物語というか、感情というか、すべてを表現している」と「パターン化された動きを上手にこなしている」みたいな踊りとに分かれてしまう。

身体を使ったパフォーマンスから、ピアノ演奏においての動きというか、自分の意思を反映させる弾き方のようなものへ、ミラーニューロンを使って応用させることはできるのではないか?ピアノだって身体の運動ではあるのだから・・・

大変古い演技で恐縮だが、ジョン・カリーの演技。彼のスケート表現というか、スケーティングというか、動きというか、すべてに「先先先」というものがあり、動きそのものにジョン・カリーの意思なるものが反映されているように感じる。偶然に感情にまかせて滑ってしまった・・・という瞬間が皆無。身体のパーツ、スケートのエッジの動き、すべてが彼の意思によるコントロールが感じられる。音楽を先取りして演技しているというか・・・

これ、偉大なピアニストの音、サウンドと同じだよね・・・と感じる。

kaz




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